黒ミサ 

mminazuki2005-08-25

23時の時を告げる合図とともに儀式は始まる。そこは多くの場合、荒廃した教会の跡地である。司祭は 乾いた血の色の衣装をまとい現れる。ふくろうは、ホーホーと鳴きながらうろつき、破れた窓の外では 蝙蝠が飛びかう。汚された祭壇には、逆さ十字と山羊の頭が飾られた。黒い蝋燭に火が灯されると司祭は 地獄の典礼文を逆さから読み上げるのだった。


現代に知られる黒ミサは、教会が異端を迫害していた14世紀に遡る。1307年、テンプル騎士団は、キリスト教を捨て 詰め物をした人間の頭部を偶像として崇拝し 十字架に唾を吐きかけた罪および 黒猫の姿をした悪魔を崇拝する不敬な儀式を行ったかどで告発された。この裁判により 騎士団は崩壊した。


1647年 ルヴィエの修道女たちは 魔法にかけられ とり憑かれ 礼拝堂つきの司祭に強いられ 黒ミサに裸で参加し十字架の神聖を汚し 聖体を踏みつけにしたと同修道院 修道女から告発を受け 裁判にかけられた。


17世紀末、ルイ14世の治世において黒ミサの興隆は頂点に達した。ルイ14世が呪術師に寛容であったことで貴族たちは司祭を雇い しばしば地下室でエロティックな黒ミサを繰り広げた。魔女カテリーヌ・ドゥシャイは、儀式を組織し媚薬を売り 運勢を占っていた。彼女は、黒ミサを司祭する多くの堕聖職者を金で雇った。この中には、最も邪悪なギポール神父の名もあった。


マルキーズ・ド・モンテスパンは、ルイ14世の愛人であった。彼女はルイ14世の愛が冷め別の女性に興味が移っていることに知りカテリーヌ・ドゥシャイの礼拝を受ける事にした。司祭ギポール神父は、裸体のモンテスパンを祭壇に横たわらせ、サタンとその配下の不実の悪霊たちを呼び出したモンテスパンの願いを叶えるべく一心に祈った。傍らでは 子供の血液と小麦粉が混ぜあわせられ、聖体が作られる。ギポールは、モンテスパンの身体にキスをし たかれた香が漂う中 聖体をモンテスパンの裸体の上で聖化し、その一部を彼女の内部に挿入した。この黒ミサは3度執り行われたあと発覚したが 逮捕者246名の男女のなかには 多くのフランス最高位の貴族が含まれていた。貴族は裁判にかけられ地方追放で処刑を免れたが 36名の平民は カテリーヌ・ドゥシャイとともに処刑された。なお カテリーヌは生きたまま火刑に処された。 


黒ミサは、カトリックのミサを猥雑にパロディー化したもので 人を呪いで殺すなど、邪悪な目的で教会のミサを堕落させた司祭が有罪宣告を受けた事実が既に7世紀に見られる。黒ミサは、悪魔崇拝をめぐる民衆の考えに根ざすものであり 儀礼では カトリックのミサをさかさまに行う事が原則だったと伝えられている。同時期 黒ミサと妖術との関係が取りざたされ 魔女狩り人、異端審問官は、異端的儀式と黒ミサを混同し悪魔が司祭を務める淫猥な儀式として次々とサバト(夜会)に参加する者たちを告発した。魔女について当時信じられていた考え方に異端審問官が無理やりに当てはめたふしも見受けられるが一方では、教会から酷い迫害を受ける異教徒の反抗的表れとして 悪魔を讃える儀式を行ったとしても不思議ではない。

悪魔を崇拝する事のない現代の魔女たちは 黒ミサを執り行う事はない。また過去数世紀の魔女と呼ばれるものたちが 少なくとも意味のある数で黒ミサを実際に行ったかは疑わしい限りである。

魔女と魔術の辞典
モンタギュー・サマーズの黒ミサ「妖術と悪魔学の歴史」