災厄の転嫁と王の身代わり

ある社会において、其の全ての人間が犯した罪や災厄を死に行く神に託された時代がある。死にゆく神は 人々に代わって永遠に災厄を背負う。これによって人々は 常に無垢であり幸福でいられるのである。悲しみや苦痛は、しばしば薪や石を背負うことの苦痛と混同された。この素朴な身代わり受難は、隣人を犠牲にすることで自分を楽にしようとする考えで 実に当たり前に受け止められていた。


・災厄を転嫁するもの
【石・小枝・葉】
長旅を続けると疲労が蓄積され食糧不足や時には 水でさえ飲む事が出来ず苦しさにあえぐ。そんなときは、葉のついた木の枝を取り自分を扇ぐ。次に自分の祖先が同様に行った場所までたどり着くとその枝を捨てる。この行為により肉体的な疲労感も捨て去る事が出来ると信じていた。葉のついた枝がない地域では、石に変わる場合も見られた。アンデスのアパチェタで旅人たちは、路傍の石塚に石をのせては そこに疲れを捨てていった。メッカを訪れるイスラム教徒の巡礼者は今でも大悪魔に石を投げつけると言い石造りの建物の壁に小石を投げる習慣がある。イギリスの探検隊が、ゴビ砂漠を旅していると砂丘の谷間の窪地に入った。既に夕暮れ近くであったため、その晩は、そこで野宿を決めた。ガイドの話では、ここは盗賊が度々現れる場所でつい最近も9名のキャラバン隊が襲われ命を落としたと言う。長い夜が明けるとその場所は不気味な様相を見せた。高く積み上げられたケルンがあちらこちらに点在していたからだ。こうした石のケルンはその場にとり憑いた邪悪な化け物を寄せ付けないためのものという見方と浄めの儀式との解釈もある。石の塚は 北アフリカ、シリア、聖地ヘブロンに多く見られる。精神的な浄化より寧ろ肉体的浄化を願う行為で人間に移せば有害な病気になるようなものを払い清める一種の儀式であり古い呪術的儀式がやがて祈りと生贄とする宗教儀式に変化していったと考えられる。つまり自分の身代わりとなるものが積んだ石や捨てた葉ということになる。

【動物】
災厄を運び去る触媒物には 動物も良く使われた。インドのマジュワル族は、伝染病に罹り亡くなった者の葬儀ではと村の司祭が鶏を抱え葬列の先頭を歩き 伝染病を運び去る生贄としてその鶏を他の村へと放つ。1590年スコットランドの女魔法使いが、ロバートと言う男の病気を治したかどで有罪を宣告された。女魔法使いはロバートの病気をわが身に引き受け それを猫に移そうとした瞬間、別の街に住むアレクサンダーと言う男が急に苦しみだした。ロバートの病気は猫に移らずアレクサンダーに取り付いてしまったらしい。彼は やがて死んでしまった。女魔法使いも有罪となり死刑になった。
【人間】
時に人間が人間の生贄にさえなった。古代ヒンドゥー教の経典には、病人の喉の渇きを元気な人間に転嫁させる方法が記されている。病人を東に向かわせ健康な人を西に向かって座らせる。呪術師は 病人の頭上でかき回した粥を健康なものに食べさせる。すると病人の喉の渇きは、健康なものに移ると言う。病人の苦しみを人間に転嫁させる方法である。インドでは、王が臨終を迎えると人々は聖者バラモンを探す。この聖者は 一万ルピーをもらい死にゆく人の罪をわが身に引き受ける事を承諾する。罪の身代わりとして生贄の覚悟を持った聖者は、死の部屋に導かれ 臨終の王を抱きかかえ、罪と病をこの身に全て引き受けますと約束する。その後 其の聖者は、多額のお金をもらい其の国から追放される。類似した例でウェールズの伝承では、「罪食い」の習慣があった。葬式に貧しい者を雇い 故人の罪を全て背負わせるため遺体を戸外に運び出すと 遺体に覆いかぶさる「罪食い」に一塊のパンを食べさせ かえでの葉で作った杯でビールを飲ます。これで故人の罪は 「罪食い」に転嫁された。謝礼は 6ペンスであった。シャムには、酒色におぼれ身体の弱った女を一人選び太鼓と笛の音とともに町中担ぎまわると人々は其の女を罵り泥を投げつける。最後に女は堆肥の山か茨の垣根の上に放りだされ永遠に町から追放された。


【樹木】
古いヨーロッパの言い伝えでは あらゆる病気や苦しみを引き受けるものとして樹木が挙げられる。病人は 苦痛を樹木に封じ込めるため釘、またはくさびを樹に打ち込んだという。その後対象は、石、戸口の柱、壁と広がりを見せる。スコットランドのアイレイ島の突端には、多くの釘を打ち込まれた大石がある。この石に釘を打ち込むと歯痛がぴたりと止まると言われている。紀元前4世紀、ローマは3年間も疫病に悩まされていた。人々が知恵を出しあい神々の怒りを静めようと ご馳走を捧げたり、踊りを舞ったりしてみたが効果はない。それでも 芸人たちが円形劇場で踊りを踊っていると黄色くにごった川の水かさが増えだし大洪水となった。ある日一人の元老院が石に楔を打ち疫病を食い止めた話を思い出す。任命された最高位の長官が、其の儀式を行うとようやく疫病は、治まっていた。


・媒介追放
災厄を一掃しようとする時、悪魔や亡霊を大掛かりに狩だし放逐する古代の習慣を媒介追放と言う。実態のないものを追い払う方法は やがて定期的に行われるようになり、年に一度 悪霊を一掃する事で人々は新規まき直し幸福な生活が出来ると信じられていた。日本では、節分の豆まきが この媒介追放に属する。ローマでは、顕現日前夜、列を成した人々がナボナ通りに集まってくる。この行列は、人形か厚紙で作った像を掲げ大騒音を撒き散らしながら 大騒ぎをする。これは、老魔女ベファナを追放する祭りで、撒き散らす騒音に使う楽器の多くはおもちゃのトランペットであった。シュトランド地方のクリスマス休暇(ユール)の間、トゥロウと呼ばれる悪戯な妖精に人間の住む町での暮らしを許した。人々は、24日目 わざと戸口や窓を開け放ち この目に見えない妖精を追い払う仕草を行い鉄器を並べると哀れなトゥロウは、元いた陰鬱な住処へと帰ってゆく。南インドのムンゼンバードでは コレラ天然痘が発生すると夜中に村人たちが全員集い病魔に見立てた樹の像に病気を封じ込める呪いを行い、隣村に捨てに行く。これとよく似た方法にインドネシア、セラム島では、疫病が発生すると 村人から集められた捧げもののを乗せた小船が島から放たれる。ロシアでは 伝染病を恐れて村の周囲に慌ててあぜ道を作る。この作業は村の未亡人が4名で行った。


・神格を持つ人間としての身代わり
インド ゴンド族は、11月に穀物の守護神「ガンシャム・デオ」を礼拝する。このとき礼拝者の一人にガンシャムが降臨するとされた。礼拝者の一人が 突然よろよろと立ち上がると密林に向かって走り出す。一同は其の人物を探し出すが見つからないと狂い死してしまったとみなす。ユダヤ暦第七月の十日 ユダヤ大司教は、生きた山羊の頭に手を置きイスラエルの全ての人々の罪を告白する。こうして人々は 山羊に罪を転嫁し荒野に追いやる。王や神を殺す習慣は、人類の歴史のかなり早い時点で行われていたと思われる。しかし動物や或いは、人間たちに神格を与える事によって 身代わりの生贄が行われるようになってゆく。更に文明が進むと貧しいものや既に病気のものが生贄に選ばれ人々の罪や苦しみを神や王に代わり引き受けた。古代 神を身代わりにし殺す事と動物や人間を生贄にするものとは異なった二つの習慣であった。本来、神や王を身代わりにする事の大きな理由は 老いて弱った神や王の交代にあったからだ。死は、植物霊による概念であり春を前に殺される植物の死は、若さをみなぎらせ復活させるための儀式であったのだった。災厄の追放と死をもっての追放儀式(神の身代わり)は、やがて一つの儀礼となり定期的に行われるように変化していった。