淵海子平

mminazuki2005-07-30

殷王朝中ごろ 河南省安陽付近の殷墟から亀の甲羅・獣骨が多く出土され そこには沢山の文字が刻まれていた。これらは、甲骨文と呼ばれ、内容は、殷の皇帝が占い師に命じて占わせた結果が記されていると言われている。殷の時代、五行説と関係の深い十進法で表される「十干」と十二進法の周期を表す「十二支」との組み合わせ用いた「六十干支」を使って「日」や「月」を表していた。この「十干」は、古代 数を数えるのに手指、左右5本ずつを使用していたことが起こりである。古代中国では、万物は 五行説の「木」「火」「土」「金」「水」の5つの元素から成り立っていると考えられ、これが発展し人間の生活に必要なもの、宇宙、人生や運命を説明する原理とされるようになった。この木・火・土・金・水の五行が 初めて現れたのは、【尚書】の「洪範」の中で その後千年近く時が流れた中国の戦国時代 秦の始皇帝が中国を統一するまでの二世紀の間互い国が 死闘を繰り返していた頃 鄒衍(すうえん)が相克五行説を考え、それから二百年後の前漢末期、科学者である劉向(りゅうこう)親子が「相生五行」説をあみ出した。