イヴからの原罪

mminazuki2006-07-10

あなたたちは、自分がイヴだということを知らないのか。あなたたち女性に与えられた神の刑 この時代も生きている。あなた方は悪魔の入り口である。神の掟を最初に捨てたひとである。悪魔が攻撃する勇気をもてなかった男を あなたは説き伏せた人である。あなたがたは、あまりににも簡単に 神の似姿 つまり人間を破滅させた。 あなた方の罰 すなわち「死」のせいで神の御子まで死ななければならなかった。(テルトゥリアヌス キリスト教初期著作者 教会神父(155-220))


イヴは、生とそして死も もたらした。彼女は あらゆる生物形態をもたらしたが それは、すべて生きているからこそ 死の支配下に置かれたのである。信仰が父権制をとる場合 生物全てが死ぬ運命にある事実は 有限の生を与えた太母のせいにされた。永遠の命を約束された楽園から アダムを追い出した神を責めず家父長たちは、この原因を作ったとするイヴを非難した。『シラフの子イエズスの叡智書』には、悪は、女から始まり「イヴのせいで 私たちは、死ぬ運命を背負った。」とある。キリスト教会の神父たちは、「イヴは、蛇の子を身籠り死を生んだ」と言った。聖ヨハネ・クリュソストモス(4世紀キリスト教雄弁家)は、コンスタンティノーブルの総司教を務めたが 女帝エウドクシアは、クリュソストモスのイヴの原罪に対し それ以後生まれた全女性の種子は イヴの中に既に存在していたのであるから イヴの犯した罪によって「女性全てが反逆したということになると主張し彼を免職とした事実がある。


エノク書』には、イヴの犯した罪に対して全人類を罰するために 神が死をつくったとある。父権制の思想家の多くは、たとえ間接的でも神を非難することを躊躇い イヴが神に従わなかった時に 死が出現したと主張した。


パウロは、イヴだけを責め アダムには りんごを食べた罪をかぶせなかった。
「アダムは 惑わされなかったが 女は惑わされあやまちを犯した。」(テモテへの第一の手紙2:14)


西暦418年教会会議では、イヴの不服従の結果死が存在するのではなく むしろ死は当然の必然であると言う者に対し異端を宣した。


教会の神父たちが 女を恐れ憎んだ根源は イヴの罪にある。そしてこれが全西欧社会に浸透し広がり男女差別主義者の受け止め方になってゆく。女は、死と同一見られ死に拮抗する生誕に対するイヴの責任は奪われ 生の創造は 父−神の面目とされた。父-神を信奉する聖職者は、神こそが、死の呪いを取り除けると主張した。


聖書のアダムとイヴは、最も有名な物語である。蛇は、楽園で暮らすイヴに そっと耳打ちをし禁断の実を勧める。「これをたべれば たちどころに目が開け 神の様に善悪を知るようになる」と。アダムは、イヴにその実を勧められ食べた。知恵が付いた二人は、果実を食べたという事実をひとのせいにする事を覚え 無防備な自分の姿によって羞恥心が生まれた。また いつか自分に死が訪れる事をしり「怖れ」を抱くようになった。こうしてアダムとイヴは 神が理想とした天衣無縫の「人」では 居られなくなった。これが本来の原罪であった。しかし 後にローマ教会初代教皇は、アダムに禁断の実を食べさせ 失楽園の憂き目に遭わせた女は 男を堕落させる存在と女を貶めた。


イエス・キリストは、女性解放・男女同権の先駆者であった。男性支配の父権的キリスト教を目論んでいた教皇には この教えは都合の悪いものであった。当時男女同権を主張する宗派は カタリ派をはじめ幾つか存在した。これらを排除するには、女性を貶める必要があった。マグダラのマリアを罪深き女性で娼婦であると捏造し学問を学んだ女性 神秘主義者 自然崇拝者 祭司など 自らの立場を脅かす女を魔女とし火刑に処した。後の時代 修道士ハイリッヒ・クレーマー、ヤーコブ・シュプレンガーの著作魔女狩り教本『魔女の鉄槌』によって 多くの罪のない女性たちが命を落としていった。エスカレートした魔女狩りは、敬虔なキリスト教徒でない者、男性の意に添わない者を排除する手段になってゆく。


福音書は、80を超える。聖典として新約聖書では マタイ・ルカ・マルコ・ヨハネを採用したのは 聖人エイレナイオスである。彼は、多くの福音書の中で 出典が疑わしい文書切り捨てた。1945年 エジプトに住む農夫ムフマンド・アリ・アッサンマン古文書を発見した。これは、地名にちなみ ナグ・ハマディと名づけられた。長い研究の後 グノーシス主義に関する文書であると判明される。イエスを神とせず人間と捉えた異端的思想のグノーシス主義の主張は、一世紀当時のカトリック教会を脅かした。この時同時に発見されたトマス福音書には イエスに双子の兄弟及び兄弟が居た事が書き記され 聖母マリア処女懐胎を否定した内容が書かれていた。(性行為による妊娠・出産を都合の悪いものと考えた証)


12使徒のなかで ペトロはイエスにとって最初の使徒であり イエスの後継者でもあった。(ペトロは、イエス逮捕の際 逃げ出した人物として有名である。)彼は、イエスへの信仰心が人一倍強かったが 嫉妬深い一面もあった。そんなペトロが イエスが他の弟子と明らかに違う愛し方をしたマグダラのマリアへの嫉妬心を露にしないわけはなかった。「女は、生きるに値しないから さってもらった方が良い」と マグダラのマリアを追放しようと企てた。「ビスティス・ソフィア」と言う文献には、イエスとの対話を独占するマリアをペトロが 激しく非難しているため 後にマリアは ペトロを恐れていることを イエスに打ち明けている。またイエス磔刑に処されたあと マリアが弟子たちの前で 生前イエスが語った事を再現すると ペトロは、偽りであると激しくマリアを非難した。


「あなたは、ペトロ 私はこの岩の上に私の教会を立てる。」(マタイ16:17-19)第一弟子ペトロは、イエスの後継者として教会設置の使命を与えられた。マグダラのマリアとペトロのこれまでの対立をみてきたイエスは、マリアには、イエスの子孫を受け継ぐ子供を ペトロには、教会設置とローマ帝国に教会を浸透させる表向きの後継者として それぞれの役割を与えた。イエスの死後 イエスの子供を身籠ったマリアは ペトロはじめ ローマ人やユダヤ人から命を狙われ 水漏れする小船で南フランスに渡る。ペトロは、女性嫌いで有名であり女性蔑視の激しい人物であった。


救済を唱える宗教として初期におけるキリスト教は、その贖罪の仕組みの基本を 「女は、悪しき者」と言う前提の上に置いた。堕罪があるため救済が必要であり 堕罪は、女性たちの原型に等しい原初の女イヴによって引き起こされたとした。神の意思に公然と反抗したイヴの神話がなかったら 救済も救世主も存在しなかったであろう。初期キリスト教教会神父は、原罪を 性行為による妊娠と出産を通じ 未来永劫女性たちの手で 次代へと受け継がれていくと主張した。キリスト教以前、三相一体の女神が信奉され 処女・母・老婆の姿で顕現し 創造 誕生 死の循環を支配していた。しかし キリスト教は この女神信奉者 神殿 聖典 儀式を悪とみなし イヴはアダムから生まれたと出産までも男性の能力として求めた。但し女神崇拝の時代から父権制へと移行する要因が女性側にあった事も長きに渡る母権制を通じて窺い知る事ができるのではないだろうか。