母系相続(Matrilineal Inheritance)

mminazuki2006-07-14

新石器時代には、母系氏族制度と母権の支配が 殆どの地で実施されていた。エジプトの古い書物には 母から娘へと伝わる財産を持つ女性が、自分自身と家庭を支配する様が描かれている。


聖書には、昔の母系相続と妻方移住婚の痕跡が見られる。アブラハムは、息子の嫁を探してきた時、家から連れ出す償いとして 花嫁、花嫁の母、兄に多くの贈り物をした。母方の家から女を離すことは、法律に違反する事であった。


・すなわち男は、その父と母から離れ妻と結び合わなければならない(創世記2:24)
・ナオミは、嫁たちにそれぞれ自分の母の家に帰っていくようにいった。(ルツ記1:8)


キリスト教到来までは、英国種族の間で 母権相続が原則となっていた。ピクト人は、女性の家系、全財産、王国までも相続したが キリスト教が浸透すると 古い母権の掟は衰退していく。6世紀のイングランドでは、母系と父系の平等相続法を取っていたが 夫から離れようとした妻は全財産の半分と子供全てつれて出られた。


英語の跡取り"heia"は、"heres"から出たもので女地主を表すギリシア語"here"或いは"Hera"と同義語であった。


異教徒のケルト人の間では、男は子供に何も譲らなかった。男が死ぬと その財産は、姉妹か姉妹の子供たちに相続された。ブルゴーニュとチューリンゲゲンの古い法律に従えば 財産は女系だけに譲り渡されていった。


カール大帝は、娘たちの結婚に反対した。これは古いフランク族の母系相続法のもとで 娘の結婚は王国の分割を意味するものと思われていたためであった。


ローマ帝国以前のラティウム(ラティーニ人の国)では 土地所有は、"Latifunda"と呼ばれ 女神ラットが 生み出した制度であった。国の名の由来も"女神ラット"にちなんだ名であり土地の所有者 継承者は、母系を採用していた。このように土地の区画は、家母長に属していたがのちに ローマ帝国になっても 妻が毎年連続して三晩家を離れて過ごす注意を怠らなければ 夫は妻の土地 或いは 財産を要求できない仕組みになっていた。これは イスラム教になる前のアラブ人の習慣、「妻は、三日三晩夫を家から閉め出して離婚した。」或いは、その更に古い習慣の名残のようである。


ギリシアでは、土地の一区画を「月」"temenos"(女に属する土地)と呼ばれ 女神の寺院を囲む周辺の土地を意味するようになった。しかし原始時代には、全ての家母長の炉床は 女神の寺院であった。アッティカの人口と土地の単位は、デ"de"すなわち女神デ・モゼル"de Mother"(デメテル)に由来するデモス"demos"であった。族長は、家付きの家母長との結婚を通じてのみ支配が可能になった。


ほとんどの古代社会においては、若い男性たちは、母方の家から出て よその土地で幸運を求めた。と言うのは 自分の姉妹たちが家族の所有している財産を告いだからである。家を離れ遠い国の女相続人との妻方移住婚を求めることは ギリシアの男性も異教の英雄たちにとっても 不変の習慣であった。


婚姻"matrimony"は 家督"patrimony"の女性型に相当(母方財産相続)する意味があったが "matrimony"が結婚と同義語になった理由は 男性にとって 財産の支配権を獲得する一つの方法であったからだ。


リディアでは、女性が土地を所有し共同生活を治め 恋愛に関しても主導権を握っていた。エジプトは、旧式の母権制の結びつきと父権制の結婚が並んで存在したが、相続は父より 寧ろ母を通じて行われていた。この制度は、父と子の比較的はっきりしない関係より 母子の明白な関係が認められた証である。エジプト人の娘に生まれると財産を継ぎ 老齢の両親の面倒を見る義務があった。


男性の学者の多くは、古代の古代の母権制度について 書くことを渋ってきた。W・ボスカウエンは、こう言った。「バビロニアで女性たちに許された自由とは、女が自分の財産を持ち それを許可されたことだった。(中略)この地の母はつねに『家の女神』を意味するしるしによって 表されている。」これは、一見男たちが寛大だったからこそ女性が財産を所有できたとの意味に捉えられるが 女性は母嫌の強固な掟によって財産を所持していたのだった。


土地財産は、はじめに土地を耕したのが女性であったため女性の手に所有権が確立されたといわれている。原始人の中には 本来女性に備わっている生命と魔法だけが植物を成長させることができると信じていた。


『女性は、生み出す方法と種に生み出させる方法を知っている。男性はこう言うことを知らない。』


南北アメリカの原住民 アルゴキアン族をはじめ カイオワ族 クリー族など、農業を発案したのは 耕された畑の唯一の持ち主である女性だと述べ 妻方移住婚及び 「家」を母系所有することが習慣となっており 古代ギリシアにおけるように父親は、部族の中で「よそもの」の扱いを受け 母、女は、酋長の任命も担い 部族の中で大いなる勢力を持ち土の主人」と呼ばれていた。イロコイ族がアメリカ政府に土地を譲渡する際の書類に男の「印」では無効となり女性の印を必要とされた事実が残っている。


南米に渡ったある宣教師が驚いていた。「女性は あらゆる物を所有し もしも夫が妻の気に障る原因を作れば その原因が本物であろうが想像上のことであろうが 妻はテントと家具をしまいこみ 子供たち全員を引き連れ カヌーまで持って出て行った。」 この時代、宣教師の故郷の法律では 妻には、衣服に至るまで 何の法的権利も与えられておらず この反対の事が唱えられていたからだ。宣教師は、この先住民の習慣に驚き 男性の敵意を期待したが インディオの男性は、「母親の特典」に対する反感を持っていなかった。キリスト教が父の権威を当然と考えるように 母の権威を当然と思っていた。またインディオの男性は 妊娠中の妻が欲しがる特別な食物を得るため 50マイルも探し歩く事が当たり前であったとも言われている。


アフリカ駐在のヨーロッパ政府代表団、伝導師は 原住民の母権習慣に反対する宣伝を繰り返し 女から土地を取り上げ男に割り振った。(ヨーロッパ式土地改革)部族の長であった女たちは 自分の子供を養えず 見下され伝導師たちは 女性の自尊心を破壊する事に成功した。


旅回りをするジプシーの間でも母系結婚の習慣が存在した。ジプシーの伝承によると女主人は 絶対に母の元を離れる事はなく 死ぬと家の門口のしたの土に埋められた。


母系制度及び 女性の財産所有権に対する争いは、何世紀も続き ついに19世紀、女性は、自分のものと呼べるものは、何一つ失った。英国においての妻は、たとえ財産を所有していても 管理はおろか 夫の承諾なしに財産分配の遺言書を作れなくなった。1930年フランスでは、夫の許可なしで妻が銀行との小額の取引も禁じられた。


【Ma】マー
印欧諸語において「母親」を意味する基本的な音節。しかもMaマーそのものが「女神」の本源的名称として崇拝された。母親を意味するこの言葉が各国に共通しているということは、人類がまだ父系の概念に思い至らなかった大昔 母を意味する言葉が最古の発祥の地から世界に伝播したのか 或いは 生後はじめて口にする言葉が「マー」であり本能的に音を発する事で母親の乳房と関連付け乳を与える母親と実感させられる女神と結びついたのかいづれかである。極東では、母系親族の構成員を結合している母方の血の絆を"mamata"(私の物)と呼んでいた。"Ma"は聖なる文字とみなされ「生命の火種」であるといわれた。Maは、同一母系親族内の全ての霊魂を一つに結びつけている霊妙な本質的要素(経血、母親の血)を示したからである。


【Maat】
正義・真理を擬人化したエジプト女神 マートという名は、Maに由来している。


【Maira】
グノーシス派が用いた名称で 「イシスの星」 「金星」あるいは 聖母マリアの称号「海の星」を指した。


【Mammisi】
エジプトの母性を祀った神殿。王妃が初子を生んで女神との合一を遂げるとその王妃の母親に敬意表し建立された。


【Mahatma】
ヒンドゥー教の賢者。文字通りの意味は、「太母」であったが、セム語の"ima"(母親)が 男性賢者を表す"iman"に変化したのと同様 マハートマも男性を表すようになった。マハートマは、本来「原初の家母長たち」だったのである。


【Malinalxochitl】マリナルホキトル
アステカ族の神話に登場する「原初の母」当初彼女は 人間をはじめ全ての獣の支配者だったが やがて彼女の兄弟の一人父権制を崇拝するアステカ人の首領になった男神にその地位を奪われた。この戦いに敗れたマリナルホキトルは、以降 悪魔と呼ばれた。


【Mari】
カルディア人では、マラトゥ ユダヤ人は、マーラーペルシア人は マリハム キリスト教徒には マリアとして知られる女神の基本となる名前。女神は、また神々を生んだ大魚でもありのちには、人魚(Mermaid)といわれた。マリは常に母なる海だった。


【Maere】
ヘカテのトーテム獣で 黒い雌犬。トロイにおいてヘカテを体現していた女王ヘカベは、オデュッセウスに捕らえられると 黒い雌犬に変身した。ヘカベ(マイラ)は 殺され「雌犬の墓」に埋められたといわれているが 一説によると彼女は 呪文や呪いの言葉で敵を脅かし容易く逃れ オデュッセウスを長期間 呪いによって異国を放浪させたとある。


【Magi】
呪術師たちの意味で キリスト生誕物語では、「東方三賢人」を指したが 西暦初期のローマでは ミトラ教の聖職者、占星術師 治療師 超能力者を意味した。


【Mara】
死の運び手 老婆としての女神の非常に古い名称。セム族は、マーラを深い海、或いは子宮を「外からかかる重さと暗黒」と関連付けた。 


【Macha】
亡霊たちの大いなる女王の意でケルト人到来以前から アイルランドで崇拝されていた女神。アイルランドのマハは、中央アジアのマハ・アラ(生と死の母)と同じだった。マハは、王妃マアカとなって旧約聖書に登場した。マアカが体現した女神の霊は 森の中の偶像と言う姿で崇拝されたがやがて 息子の「アサ王」によって破壊されてしまった。(列王記15:13) マハは、戦場にも出没し殺害された男たちの血を用い魔術を行った。 マハは妖精の女王マブとも同一視され三相一体の女神として ドルイド教の女魔法使いとなり 英雄クーフリンに死の呪いをかけたとされる。マハの声を聞いたものは 死の国に召された。


【Mammon】
中世において 商売上の強欲さ表すデーモンとされ その名は「富」を意味した。しかし この名称の中東における本来の意味は太女神の尽きる事のない乳房から豊かに流れ出て子供たちを養い育てる乳だった。


【Man】
古期スカンジナヴィア語にあっては、"man"は「女」を意味した。Manは「月」であり ヨーロッパ諸民族は、万物の創造女神を言った。サンスクリット語の語根Manも月と叡智とを意味していたが 両方共に太女神の基本的属性だった。


マン島
月の女神への捧げもの。マン島の月の女神は 或る時は人魚に あるときは両性具有のアフロディテと言われ 「さかさまにふせた壺」すなわち塚状の墳墓 幅は狭いが丈の長いドーム型玄室をもった 蜂の巣状墳墓の中に人間の霊魂を保有していたと言われている。マン島の住民たちによる伝説では 月の女神が現れ男の島民を誘惑し海中に連れ込み 男たちは海で死んだと言う。しかし 実際は、死んだ男たちの亡骸が子宮に喩えられた海に還されたものと思われる。また マン島には、魔法の宮殿があり13本柱の地下礼拝堂があった。礼拝堂を訪れたものは 必ず柱の数を数えた。この儀式を怠ると神殿に閉じ込められ二度と出る事は出来なかった。後にこの神殿跡地には 大量の塩がまかれ神殿は跡形もなくなった。

【Magic】呪術