Grail Holy(聖杯)

mminazuki2006-05-05

スペインに住んでいたムーア人の伝承によれば聖杯の神殿は、スペイン領ピレーネ山脈の「救済の山」にあるといった。

神殿の建物は 直径が100尋あり その周囲には72を数える礼拝堂があった。
礼拝堂は、二つが一組になり それぞれの組には、高さ6階の塔が一つづつついていて
塔の中には 外側についている螺旋階段から 中に入れるようになっていた。
神殿の丸天井は サファイヤで その中心には エメラルドの板がはめ込まれている。
神殿の屋根に聳える頂塔の内側には 太陽と月がダイヤモンドとトパーズで表され
夜の闇の中でも 真昼のような光を放っていた。
窓は 水晶や 緑柱石など 透明な石ででき 床には半透明な水晶が張られ
その下には 様々な海の魚たちが縞瑠璃を使って まるで生きている様に彫られていた。
塔は 金をちりばめた宝石で出来ており 屋根には 金と青い琺瑯が使われていた。
それぞれの塔の頂には 水晶の十字架が 飾られその十字架の上に一羽の金の鷲が
翼を広げていた。主塔には、大きな柘榴石が取り付けてあり 夜でも 騎士たちに
神殿おありかを知らせる為役立った。神殿の丸天井の直下には、神殿を模した
ミニチュアの神殿が置かれ このニニチュアの神殿の中に聖なる杯が保管されていた。


聖杯が 初めてキリスト教の最後の晩餐の杯に変えられたのは ブルゴーニュの詩人ロベール・ド・ボロンの著作「アリマタヤのヨセフ」においてのことだった。(1180-1199)


キリスト教神話によると 聖杯は、キリストが最後の晩餐に使った杯であり そのときキリストは 「わたしの契約の血」である。」マタイによる福音書(26:28)と述べ その杯にぶどう酒を注ぎ 十二使徒に飲ませたのだった。キリストが磔の刑に処せられると アリマタヤのヨセフは、その杯をイングランドに運び グラストンベリーの聖地に祀ったが やがて杯は、そこから姿を消してしまう事になる。

http://video.google.com/videoplay?docid=2119365880741187390

ド・ポロン著作によると 聖杯は元々サタンの冠に埋め込まれた宝石だったと言う。サタンが まだ天界の住人だった頃 6万人の天使たちが その冠をサタンに贈った。しかしサタンが地獄におとされたとき その宝石は冠からはずれ地上に落ち 発見された宝石から 杯が作られた。アリマタヤのヨセフが その杯を手に入れ 十ニ使途との最後の晩餐に使うようにとキリストに献呈した。この杯は 「破滅」をあらわしイエスは、心弱くなった時 神に向かってこのように祈った。「我が父よ、出来るならばこの杯を わたしから 過ぎ去らせてください。」(マタイによる福音書26:39


ヨセフは、その後 ユダヤ人によって監禁され太陰暦の一年と一日(365日)の間  飲まず食わずで地下の土牢に放置されたが、彼は 聖杯を所持していた為生きながらえた。ヨセフは ローマ皇帝ウェスパシアヌスによって解放された。そのとき皇帝は 聖ヴェロニカの「イエスの汗を拭ったのされるヴェール」で患っていた病が治ったことで キリスト教に改宗していた。ヨセフは、その後一団と共に イングランドに渡りグラストンベリーに聖杯の神殿を建て 聖なる晩餐の儀式に用いる円卓を備え付けた。また ド・ボロンは、円卓で空席となる「危険な座」を裏切り者ユダの席とした。また別のユダヤ人モイセス(モーセ)もこの席に座り 彼も高慢のかどで大地に飲み込まれたとある。


1230年ごろになると更に雑然とした内容を持つ『聖杯之巻』が現れる。(【流布本物語】フランス語散文)『聖杯之巻』の著者は キリスト自身の亡霊によって西暦717年の聖金曜日にシトー会の修道士に与えられたという体裁をとっていた。この作品では聖杯を その古い名称「大なべ」の名称で呼んでいる。聖杯を信奉する集団は、モンドランとナシャン(死と誕生)が支配する町サラスに入植した。ソロモンの船は、聖杯守護者をのせ 誰の力も借りず独力で航海し キリスト教を各地に広めていった。聖杯構成員たちは、多くの冒険を経験し 中でもブロンは、スコットランドに出かけ トリスタンと同様 毒を塗られた刀で負傷した。ブロンは その国の女王の介抱で傷が癒えると 女王の父を殺し彼女と結婚をした。


聖杯がキリスト教のシンボルへと変貌し 最終段階を迎えたのは シトー修道会によって書かれた「聖杯の探求」が出現した時の事だった。この書物の中で ギャラハットは 何事もなく「危険な座」に収まった。ギャラハットは、アリマタヤのヨセフの血統を引く完璧な「待望の騎士」であったとともに 彼が 童貞を失わぬ純潔な身であったからだ。ギャラハットは 川に浮かぶ石から魔法の剣を引き抜き 彼を通して 聖杯を円卓の騎士たちに伝えた。円卓の騎士らは、それまで興じていた馬上競技や宴会など異教的傾向から離れ 世界の果てまで 本物と言われる聖杯を探求する旅にでることになった。『探求』には、当時の宮廷風恋愛礼賛に対する反感が明瞭に示されている。


修道士だった『探求』の若者の真の意図は純潔の美徳をおおいに讃える事にあった。円卓の騎士たちは、一人をのぞき何らかの性的な罪を犯していた。パーシバルは、過去において宮廷風恋愛礼賛に加担していたため失格だった。ガーウェインは 他の幾つかの物語では 待望の騎士役を担っていたものの この物語では、問題外になった。ランスロットは、王妃グィネヴィアとの姦通の罪により 夢の中でしか 聖杯を見ることは出来なかった。


純潔な騎士は、ただ一人、ランスロットの生まれ変わりで しかも一点の穢れもないギャラハットだけであった。ギャラハットは その純潔さ故 キリスト教の全ての宝物を その目で見ることが出来たのであり その宝物の中には シトー修道院の一つに保管されていた アリマタヤのヨセフの盾も含まれていた。その盾には、白地に赤の十字架が描かれており これは イスラム教派アサシン派秘密結社の赤と白のエンブレムが表していた「純潔と血の色」と同じであった。この紋章は まず十字軍によって模倣され 後に薔薇十字団によって借用されていく。

聖杯は、壮麗な神殿に保管されており支配者は、女王であった。(パンス・ド・ジョワ) 吟唱詩人たちの語るところによると、女王の夫は ムーア人で女王の息子ジョンは 東方テンプル騎士団の聖杯と女性守護に身を捧げた戦士集団の創設者であった。貴婦人に助けが必要となると ギャラハット、パーシヴァル、ローエングリンら聖杯騎士たちは 聖杯のふちに浮かび上がる炎の文字で命令を受け 馬を駆って救助に向かった。


聖杯の神殿は、女王グィネヴィアが 愛人と一緒に身を隠したジョイアス・ガルドの城と同様 モンジョワ(喜びの山)と呼ばれる事があった。モンジョワは山岳聖所であると同時に比喩的には女性生殖器をを指した。モンジョワの語を持つ性的象徴性は 性を抑圧したキリスト教会に対する異端者たちの反乱を集結するため役立った。


ヨーロッパ人が、キリスト教のこの神話を耳にしたのは 12世紀以降の事だった。聖杯は、実のところキリスト教のものではなく 本来異教の産物であった。スペインにおけるムーア人の聖なる伝承を通じ 聖杯は、キリスト教に導入される。血で満たされたこの器(聖杯)は 其れと同類であるケルトの聖なる「再生のナベ」と同じように 子宮のシンボルとされ 霊魂が別の肉体に宿り再来すると言う古代のオリエントやグノーシス派において信奉された再来を意味し 聖杯には 女性的なイメージが深く込められていた。


しかし聖杯から それにまつわる女性的イメージを取り去ってしまったとき 聖杯が持つロマンチックな魅力の方も薄れていく。聖杯は、単にキリストの血を受けた杯に過ぎないならば 発見に胸が高鳴るということはなかった。結局のところ 聖杯をキリスト教に取り入れたことで 聖杯の秘められた本質に備わった魅力を消し去る事になったのである。