富貴得る大繁栄の聖天信仰

mminazuki2005-11-10

大聖歓喜天(聖天)
頭人身の男女の神が抱き合っている異形の天尊は、財福 病気平癒 災難除法 悪人駆除など 祈れば必ず成就しないことはないと信じられている。諸仏諸菩薩の母とされ その姿は陰陽和合 天地一体の秘儀を顕現している。聖天信仰は、信者の熱心な祈りと行者の法力、聖天の妙智,三力冥合の結果心願成就されるとされているが、しかしこの聖天信仰、兎に角其の代償が恐ろしい。個人で祀る、或いは供養することは、困難である。聖天には 双身と単身があるが 前者より後者の方が気難しく 極端に不浄や穢れを嫌い 日々の供養 祈祷は無論のこと不浄、怠慢は 即座に行者の身に厳罰が降りかかるというのである。


聖天は、霊験がありすぎるため 子孫七代までの福を一代で取ると言われている。人も羨むばかりに大繁栄するが 子孫が絶やされたり 死後の財産がきれいさっぱり失われるとも目され また一代のうちに幸運を勝ち取り一時的に絶頂を極めるが 其の直後急転落下の運命を辿るといった不運な話も聞かれる。


聖天の本誓は、その神紋である宝袋に表される。その宝袋は 砂金を入れる巾着で 中には 財産、健康 名誉 栄達など全ての財福が入っており 祈願者には 福分とし与えられるのである。またどんな悪人であろうとも聖天を信仰していれば 平等に利益を与えるというのが特徴である。単なる善悪の人智を超え その信仰者を絶対見放さず徹底的に加護する。故に聖天に背いたら戒めもまた格別な世にも恐ろしい神とされている。


■著名な聖天信者
  財閥三井家祖先 三井高利
  川崎造船創設者 川崎正蔵
  材木商  紀伊国屋文左衛門
  初代総理大臣 伊藤博文
  義太夫界の三世 竹本津太夫
■証文使呪法経
もし人があって諸天のため捨てられたとしても
我 聖天を念ずれば 即座に現じて皆円満にする


寿命の尽きた人の命をつなぐ場合の命続祈祷も 聖天に対する祈祷が一番とされている。京都、宇治市の御蔵山宝寿寺住職、小松澄光は 著名な聖天信者であった。大正6年 参議院議員の林屋亀次郎の長男、善作の病気平癒祈願を頼まれた。しかし祈祷の甲斐も虚しく善作は 京都の大学病院で息を引き取った。亀次郎は、仕方なく葬式の手はずに家へ戻る途中 澄光の寺に立ち寄った。亀次郎が長男の訃報を告げると澄光は、こう言う。


「祈祷中 何の支障も起こらず 極めて順調に運んだ。この病気は必ず癒えているはずだ」と亀次郎を病院へと戻した。するとなにやら病院では大騒ぎになっている。さっき死んだはずの息子が生き返っていたのである。また澄光は、80歳の高齢者の命続祈願の依頼を受けたが、聖天は実に恐ろしげな顔を見せたという。延命か絶命かは 其の祈祷の最中、聖天から何かしらのサインが送られてくるという。澄光はこのご老人を助ける事は出来なかった。無理に延命を祈祷した澄光は、油が沸かなかったり 火が消えたり 其の祈祷を妨害するかのように 壇から三度も転げ落ちたのであった。


聖天に祈願する際、絶ち物をしたり 願掛けを行うが中途半端な気持ちでは邪道に陥り易いとされ 戒められている。絶ちものは 聖天の好物とされている大根、酒 餡入り団子等 生涯食べないと誓い心願成就を祈願する。絶ちものを万が一破ったりすると 必ずそれなりの咎めや罰がくだるといわれている。

■聖天信仰による心願成就法
聖天の前に安座し「入我我入観」(ニュウガガニュウカン)による修法、聖天の真言である「オン・キリ・ギャク ウンソワカ」をその梵字を心に浮かべ一万回以上唱える続けていると聖天と一体化でき やがて思うとおりの事が実現できると言われてる。


世にも恐ろしい聖天信仰を行ってみる勇気はおありですか?