チベット死者の書

mminazuki2005-09-12

チベット仏教の開祖バドマサムバヴァ
この神秘に包まれたチベット死者の書では、生命の本質は光であるという。そして いかに死すべきかという死の技術が説かれている。チベット密教には 埋蔵経(テルマ)と呼ばれる膨大な文献の存在があり それらは、密かに山中や洞窟に隠された。経典は、その時代に応じ必要とする修行者が決まって発見すると言われている。奥書によれば 『バルド・トドゥル』(チベット死者の書)は、インドの僧でチベット仏教の開祖バドマサムバヴァが紀元8世紀、9世紀に著した経典とされている。

高貴なる生まれのものよ。
このような身体を持って自由に移動できるため ちょうど夢の中のように
様々な場所や人を見ることが出来ます。 
しかし あなたが近親縁者達に話しかけても 彼らから返事があることはありません。
近親者や家族の者たちが泣いているのを見て 
『私は死んでしまっている。どうしたら良いであろう』と あなたは苦しむでしょう。
むき出しで熱い砂の上に置かれた魚のように 激しい苦悩に苛まれる事があるのです。
しかし今あなたが苦しんでも何の益もないのです。
あなたに導師がいるならば 導師におすがりすべきです。
また守り本尊・大慈悲尊に祈願すべきです。 
あなたが近親者に執着しても何の益もありません。執着してはなりません。
        バルド・トドゥル

エバンス・ヴェンツ
チベット死者の書は、西洋世界で最も良く知られたチベットの宗教文章である。1878年アメリカ、ニュージャージー州に生まれたエバンス・ヴェンツは、クエーカー教徒である母親の影響で 聖書を読み耽る少年時代を過ごした。しかし彼は、アメリカ西部の保守的な教会の考えに徐々に反発を感じ その後キリスト教の中でも東方的なクトリウス派や異端とされた様々な宗教に向かってゆく。人間の再生の観念にとりつかれていた若きヴェンツは、再生をテーマとしたインド・チベットの神秘的英知に憧れを抱き神智学協会の書物を読みあさる日々の中 次第に神秘主義的な傾向に引かれてゆく。死者の書は、彼エバンス・ヴェンツが、インドを旅行中に偶然手に入れ翻訳をしたものである。

再生は、現代科学では 論じる事が出来ない次元のものだ。
しかし 数世紀前には馬鹿げたことだと思われていた事が
現代科学では 証明されてるのだから キリスト教の倫理と
科学的見地から抹殺されたことも 将来は事実として認められる
時代が来るだろう。
         エバンス・ヴェンツ

チベット死者の書にそっての49日間
死者の書の経典は、死を迎える人の耳元で僧侶が経典を読み聞かせ解脱に向かわせるものである。死の直前から読み始められた経典は、毎日のように読まれ 死者が荼毘に付された後も49日間続く。 チベット仏教では、解脱の最大のチャンスは、死の直後と考えられている。何故なら 死者が入ってゆくバルドの状態は 物質である身体や現世の条件にとらわれにくい中間的な世界であり悟りを得やすいと考えられているからだ。死者の書は 死者が再び生まれかわってしまう輪廻の道を避け解脱へ向かわせるための経典である。49日間とは、誰しもが輪廻し生まれ変わってしまう期間なのである。
▼三段階の死後のバルド
1、直後に体験する チカエ・バルド(死の瞬間)
2、死後4日半、経過して始まる チョニエ・バルド(心と本体)
3、死後22日目から始まる シバ・バルド
死者の意識が、それぞれのバルドで体験する神秘的な現象の意味を説き聞かせ同時に死者の意識を恐怖や欲望から解放される。僧侶が経典を声に出して読み続けることにより死者の家族も一種のデス・エデュケーションを行う事になる。家族が死を肯定的に捉え悲しみ駆られ死に瀕している人を 平和な死から引き戻さないようにとも説いている。
▼ 第一の光明(死の直後)(チカエ・バルド)
呼吸が今 まさに止まろうとするその瞬間、死者の意識が外部に出るのが最も望ましい。しかし其れが出来なかった場合、次の言葉を唱える。

高貴な生まれのものよ。
歩むべき道を探しに行くときがやってきました。
息が絶えたら直ぐに導師が示した根本の光明があなたの前に現れます。
これこそが、生命の根源を作っているダルマタ(本質・法性)です
ダルマタとは 宇宙のように広大で空虚で 光に満ちた空間
中心も 境界線もなく 純粋でありのままの心のことです。
あなたは、その心の状態を自覚し その中に安らぎを見出すのです。

▼第二の光明(死の直後)(チカエ・バルド)
死に行くものが 最初の光明を覚ったならば 彼は必ず解脱するであろう。しかしもし是に失敗したとしても第二の光明が訪れる。第二の光明は 呼吸が止まったあと、数時間に現れる。生前の善行・悪行の度合いによりブラーナは 左右いずれかの脈管から入り込み身体のどこかの孔から抜けてゆく。そのとたん死者の意識は、外部に飛び出しはっきりとするが 自分が生きているのか死んでいるのか判断できない状態にあり、親類家族の泣く姿を見ることにより 激しい混乱の後 多くは 死神の恐怖に襲われる。

高貴なる生まれのものよ。
あなたの守り本尊を瞑想しなさい。
決してほかの事を考えてはいけません。
守り本尊の事だけを一心不乱に考えなさい。
守り本尊は、実態のないもの。
例えば 水面に映った月のようなものだと思いなさい。
実態のあるものとは、考えてはいけません。

▼第三の光明(チョニエ・バルド)
この光明は すさまじい大音響、色彩、光によって死者を失神させる。失神後、寂静尊の現出から いよいよ死者の意識の試練が始まる。失神から4日経過すると 必ず死者の意識は目覚める。 この日から、14日間に渡り7つの幻影が、強弱の二つに組み合わされた光として現れてくる。最初の一週間目は、平和で慈愛あふれる寂静尊が、次の一週間は、悪夢のように恐ろしい忿怒尊が現れる。チョニエ・バルドは チカエ・バルドで解脱できなかった死者が 覚りを実現するための課題はなにかを象徴している。
・一日目(毘慮遮那)
死者は 4日半 意識を失った状態が続き 朦朧とした意識の中から覚醒する。自分の身に起こった出来事を バルドの状態と認識させる。死者の目には、輪廻の輪が逆転し宇宙全体が淀みない明るい青い光となり輝きだす。中央の仏の世界には 真っ白な毘慮遮那如来(びるしゃなにょらい)が獅子の椅子に座して八輻の輪を手にしている。
・二日目(金剛薩埵)
物質作用の集まりの白い光は、輝き曇りなき鏡のように英知が、ヴャジュラサットバ男女両尊の心臓からでる。その光は目を刺すほどの激しい光で、目を開けては居られないほどである。
・三日目(宝生)
本質的な純粋さを持つ感情作用の集まりラトナサムヴァ男女両尊の心臓から出る。それは 平等の知恵とされ色は黄色である。しかしこのとき 黄色い光明を恐れてはいけない。使者は、黄色い光に身を委ねゆっくりと休むのだ。するとたとえ信心がなくても祈りの言葉を唱えなくても、覚りを開く事が出来るであろう。
・四日目(無量光)
アミターバの神々がやってきて欲望と卑劣から生まれた貪欲な亡霊の居る光道とともに 死者を誘い出そうとする。
・五日目(不空成就)


・六日目
五仏が中央と東西南北の四方からいっせいに現れる。
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