ギルガメシュ

mminazuki2006-03-19

嫉妬深い神が、絶対に渡すまいとする不死を求めて失敗した人間を語っている。シュメール・バビロニア叙事詩に登場する英雄、紀元前7世紀 ニネベ、アッシュルバニパルの書庫から出たものである。しかし其れを上回る古い断片が、紀元前2000年頃の遥か昔のバビロニアでの話を伝えている。


ギルガメシュは、死を恐れ 人間の中で唯一ひとり不死を得た洪水神話の主人公、ユタ・ナピテシュティム(旧約聖書のノア)から 不死に関する秘密を教えてもらおうと この人を探す旅にでる。多くの冒険を経てギルガメシュは、其の家父長を探し出した。家父長は、永遠の命の「薔薇」を見せてくれ、ギルガメシュは、家父長から、薔薇の木をもらった。その旅の途中のこと、彼が、湧き出す泉に身を浸していると(入浴) その隙に蛇が現れ「薔薇の木」を盗んでいってしまった。こうして蛇は、不死を得、死の国へ旅をしなくても 皮を脱ぎ定期的に生まれ変わる力を持つようになった。


打ちひしがれたギルガメシュは、その後 宿屋の女主人に変装した女神*1に出会った。ギルガメシュは、女神に不死の探求を止めるよう忠告され 真実を教わる。残酷な神々たちが人間はすべて死ぬものと決めていたという真実である。そして女神は こう付け加えた。「家に帰り 出来るうちに人生の良いところを楽しむように過ごしなさい。入浴し着飾り食べ飲んで 子供と遊び妻と愛し合い「毎日を祭り」のように過ごす事です。


シドゥリ「刹那主義」の哲学は『伝道の書』*29章に写されている。そこには、「神の言葉」であらゆる報い 或いはあらゆる罰をもたらす「来世」が否定され ユダヤキリスト教の神が正義を行う事がない極めて異教的一節が、見られる。

*1:女神=彼女は、シドゥリ・サビトゥ、神々の酒の酌をする女神で 後にスーフィー教徒の哲学者は、女神サキとして彼らの宗教に取り入れている。サキは、「暴かれた真実」と言う名の杯を神々に振舞う。

*2:伝道の書=、聖書中、他のいかなる書とも趣を異する。主への親しい呼び掛け 祈りもなく、天の啓示を告げることもない。罪との深刻な葛藤も直接本文からはうかがえず、展開されている思索が神について語るよりも人生の無常を嘆くことに重点がおかれている。

聖書 洪水 Flood

mminazuki2006-02-26

聖書に登場する大洪水の話は、更に古い時代 世界全体に知れ渡っていた。シュメールのジーウースードラによって「方舟」は、作られている。アカデにおいては、洪水の英雄の名は、アストラ・ハーシスであり バビロニアでは、ユタ・ナピシュティムと言い この神話の中では、この男が人間でたった一人不死を与えられた。ギリシアでは、デウカリオンという名で登場し 水が引いたのち妻ピュアの助けと水の太女神テミスの忠告を受け 再び地上の人口を増やしたとされている。アメリカでは、ジシュトロスといったが これはシュメールのジーウースードラの転訛したもので 彼の方舟は アララット山に乗り上げた。


カルディア人に伝わる最初の説明によると洪水神話の主人公は 神にこう云われ 更に詳細な技術的指導を受けた。ノアの方舟は、このように昔の壮大な話と較べると規模は ずっと小さかったようだ。


「舟を作って仕上げろ」
「私は 洪水によって物質と生命を滅ぼす」
「命あるもの 全てを持ち舟にのれ」
「方舟の長さは600*1幅60キュービットにつくり3600の三倍のアスファルト(瀝青)を塗り内側にも同量を塗れ。」


1972年 ジョージ・スミスがアッシュル・バニパル アッシリアの王*2 の書庫にあった「創造の十二書」を訳していた時、洪水神話の古いものを発見した。宗教的権威者が隠匿しようとした詳細な部分は、洪水を起こした神が太母に逆らった点であった。太母は、洪水によって地上の子供たちが溺死するのを望まなかった。母イシュタルは、神は、無謀にも洪水と嵐を起こし私の大切な民を破滅させたと逆らった神を厳しく罰し「大稲妻」をもって神を呪った。女神は天に魔法の虹をかけ 神が地上の祭壇に近づくのを遮ったという。

旧約聖書の記者は、古代洪水神話のほかに詳しく書かれた部分も写したが、怒った母親に食事抜きで床に追いやられる悪戯な子供のように 神がバビロンの売春婦(太母)に罰せられるのを認められなかったのだ。 このように旧約聖書の記者たちは、母イシュタルの虹という障害物を 神自ら天に立てた「契約の印」に変えてしまったといわれている。(創世記9:13)


チグリス・ユーフラテスの流域は、破壊的洪水の影響下にあった。その中の一つに地質学者が注目しているテラ島(現サントリー島)の噴火は、クレタ文明を破壊しているが、レナード・ウィリー卿が ウルの遺跡を発掘したて居た時 8フィートの厚さに及ぶ人工物の発見されない粘土層を洪水の跡と断定した。このような洪水が インド・ヨーロッパ人の信じる水による混乱と同一視されてたのかもしれない。


周期の終わりに世界を呑み込むような氾濫が起き 実体のない太母の子宮の中で 新世界が再生する。方舟は、一つの宇宙が破滅を向かえ 新しい宇宙が誕生するまでの混沌の期間を通り抜ける生命の種を表していた。


また グノーシス派では、洪水を起こす神を邪悪な、人間を破滅に追いやるものと述べ 更に古い見方では、人々がエホヴァだけを崇めるのを拒んだので 嫉妬した神は、洪水を起こさせたとの記述も存在する。幸運にも反対した女神が、ノアとのノアの家族を助けた。ノアたちは、女神の発した少量の光で(お告げ)で方舟に救われ そこから人類が世界中に満ちたといったグノーシスの派の解釈の根源は、バビロニア古代ギリシアの両方にありギリシア人によると 原初の海 母テミスが、デウカリオンと妻に「彼らの骨と大地の骨」つまり石から人間を作る方法についてオカルトの知識(光)を与えた事にある。

*1:キュービットキュービット=ラテン語のcubitumは、「肘」をあらわす。大人の中指から肘までの長さを1キュービットとする

*2:アッシリアの王 紀元前6世紀頃 軍指導者・政治家・ニネベで楔形文字を収集した、19世紀考古学上再発見

聖書 バベルの塔

mminazuki2006-02-25

バベルBa-Bel(神の門)とは、バビロニアの天界に至る山 つまりジグラット(聖塔、周囲に階段のあるピラミッド型の寺院)であった。神が空から至聖に降り立った場所でもある。至聖とは、神が、大地母神と交合するとき その生殖器をが置かれる場所である。


聖書でバベルの塔に触れている箇所をみると「三角形の肥沃な平野に入ってきた遊牧民の態度がわかる。彼らは、バビロニアの都市に聳え立つ塔を驚きと恐れの目で見たが 其の都市の大勢の人々が古代の近東地方の様々な言葉を話すのを知って 軽蔑した。」遊牧民の耳には、多種多様な言葉が、俗悪な無駄話(babble)に聞こえたのっであった。


バビロニアの有名な「つり庭」(空中庭園)は、そのジグラットの階段のうち 7つの階段をしめヒンドゥー教の神々の楽園に似せた楽園になっていた。「世界を7つに区分し それぞれに7つの都市と7つの神の宮居が建てられ 緑の森とせせらぎに囲まれ 7つの円を成し 下から上へと順に重なっていった。ネブカドネザルが復元したジグラットは、世界を7つの中心円形に区分した神殿であった。このため古代の人々は、広く一般に 7つの天界が7つの天球層に相応して存在するものだと信じていた。
キリスト教イスラム教も こうした宇宙観をとった。コーランには、アラーの神が、7つの天界と7つの地下界(地獄)を創った。との記述がある。


ジグラットが棄てられ廃墟と化し その煉瓦が崩れ落ちているのを観た後代の遊牧民たちは 神が昔の人々のおごりに怒りを発せられ その天界を望む建物を破壊したのだと思った。バベル神話は、インド・メキシコを含めて 世界のいたるところで見られる。 ギリシアでは、山々を積み重ね天界に至ろうとした巨人たちの神話がある。ヒンドゥー教では、それは塔でなく大きな木で 天界に達し そのためブラフマーの怒りに触れて 枝を切り落とされてしまった。斬りおとされた枝は それぞれの木になり 人類は、その木から 別々の言葉をもらった。


*1ベロッソスは、バビロニアの天界にいたる山は風によって破壊され 其の風に乗って 様々な言葉が人々の間に散ったと言った。このベロッソスの言葉の前半部は、理に適うものであった。土煉瓦の建築物が壊れる主なる原因は、乾燥で風に浸食される事であっったからだ。ベロッソスの話は、数世紀後 巨人たちが建てた聖なる山についてのアルメニア神話に現れた。「その山は風に吹かれて崩れ落ち同時に無数の言葉が人間の間に飛び散っていった」


同様な話が西半球にも見られる。チョクトーインディアンの神話では、彼らの祖先が石を積み上げて天界に達する山を作ったが風に吹かれその山は崩れ 其の時から人々は、それぞれが違う言葉で話すようになったとの話が残っている。また中央アメリカでは チョルラに天界に達するピラミッドがゼルファーの指導のもとに 巨人たちの手によって造られたが 其れを見て怒った神々たちが電光を放ち 崩壊させ そして 互いに理解できない様々な言葉を地上に送ったとの神話も杖得られている。



神話・伝承事典―失われた女神たちの復権

*1:ベロッソス=カルディア人で ベル・マルドゥックの聖職者 紀元前3世紀 バビロニアアッシリアの歴史をギリシャ語で書いたといわれる人

悪魔を憐れむ歌 

mminazuki2006-01-21

■"X"と"O"
1986年、メリーランド州で 反ロックのプラカードを持った子供たちがデモ行進を行った。当時ニューヨークでフリーダム・ヴィレッジを組織したフレッチャー・A・ブラザースは、ロック・ミュージックを「悪魔主義の中央組織による陰謀だ」とし多くの印刷物を配布してまわった。同年9月15日 所謂ポルノ・ロック上院公聴会に大型バス一台分の子供たちを乗せ現れた。子供たちがロック・ミュージックにより虐待を受けていると立証させる為であった。


フリーダム・ヴィレッジの機関誌ヴィレジャーにおいて ヘビーメタル・ミュージシャンのみならず 多くのポピュラー・ミュージシャンが性的倒錯と悪魔崇拝を助長していると非難した同誌は、悪魔主義的なミュージシャンとして パット・べネター、ビートルズマーヴィン・ゲイスティーヴィー・ワンダーを挙げた。


ペアレンツ・ミュージック・リソーシズ・センター(PMRC)は、クリントン政権時のゴア副大統領の妻ティッパー・ゴア率いる組織であった。彼らは、ロック・ミュージックに対する ビデオ及び音楽が子供たちに暴力、オカルトの影響を与えるとし1985年全米レコード産業協会に 特定ミュージシャンのレコード契約の再検討とコンサートの等級評価方式を採用する事 またレコードジャケットは 無地の包装紙に包み 冒涜 自殺 同性愛を歌うアルバムには、"X"表示を オカルト趣味のアルバムには"O"を載せることを求める要望書を送った。

■ヘビー・メタルの悪魔趣味
L・Aの殺人鬼ナイト・ストーカー本名リチャード・ラミラスhttp://profiler.hp.infoseek.co.jp/richard.htmは、AC/DChttp://ja.wikipedia.org/wiki/AC/DCのアルバム「ハイウェイ・トゥ・ヘル」の収録曲「ナイト・プラウラー(夜の徘徊者)」の影響を受けたと伝えられた。(チャールズ・マンソンhttp://profiler.hp.infoseek.co.jp/manson.htmは、ビートルズの「ヘルター・スケールター」という曲名を利用した。)
 リチャード・ラミラス
 チャールズ・マンソン

1986年2月 ミシガン州モンローで起こった殺人事件は、ヘビーメタルの大きな影響を力を示す例と成った。17歳の少年ロイド・ギャンブルは、悪魔主義者である弟に撃ち殺されたのだ。証拠品として悪魔崇拝の道具と式服、逆十字架 大量のヘビーメタルのアルバムを押収。「兄を高次の意識に開放するため殺した」保安官は、彼の供述をこう記している。殺害当日を悪魔の祭日である聖燭祭2月2日を選んでいた。


1984年、カリフォルニア州インディオで ジョン・マッカラムが オジー・オズボーンの「スリーサイド・ソリューション(自殺解決法)を聴きながら自殺した。彼の両親は オズボーンとCBSレコードを相手取り訴訟を起こした。オズボーン自身、14歳になる前 自殺を試みた事がありながら 青年の自殺に対する責任を全面否定した。ソリューションとは、「解決法」ではなく 麻薬を水に溶かすという意味であり歌には麻薬常習者は 自殺をするようなものだとのメッセージが込められているのであると主張。悪魔主義者だとの評判も オズボーンは真っ向から否定した。

■ サブリミナルメッセージ
悪魔がロックの世界に登場するのは、1950年代後半からである。ローリング・ストーンズレッド・ツェッペリン、スティックスと言ったグループも悪魔との結託の噂の経験を持つ。1960年代、デイビッド・ノーベル(キリスト十字軍説教師)は、彼の著書『共産主義、催眠術、ビートルズ』において英国ミュージシャンは、悪魔主義共産主義者の陰謀の手先であり 十代の若者の心臓の鼓動にロックのリズムを合わせ精神を破壊しようと企んでいると書いた。1960年代は、個人の自由と自己開発の理想を主張すると共に 精神の広がりをもたらす麻薬に絶対的信頼を置き社会改革を進めたグループも少なくない。悪魔的要素が音楽シーンに取り込まれたのは、既存の価値観への不満がピークに達し東洋神秘思想や新たなる知覚形態が探求されたサイケデリック革命の最中であった。


異教の魔女集会を思わせる屋外ロック・フェスティバルが始まったのも60年代である。これらは 外見ばかりでなく心理作用の面でもミュージシャンの宗教的シンボルとなるコスチュームから 荒々しく陶酔を誘う音楽と不可欠な幻覚剤の使用でイベントは 参加者に精神の開放と浄化作用をもたらし その上大きな統一に吸収されたかのような自我喪失を経験させた。


1969年のハロウーィンの日、デトロイトにおいて魔女集会とロックの融合するコンサートが開催される予定であった。トリを勤めるのは、ロックグループの ザ・カヴン。ゲストは、ピーター・ハーコス ティモシー・リアリー アントン・ラヴィとそうそうたるメンバーであったがデトロイト協会からの圧力を受け中止になった。その一ヵ月後、ローリーング・ストーンズが30万人のファンを集めて 無料のコンサートを開催した。彼らは 魔術師のコスチュームで メフィストフェレスを歌った『悪魔を憐れむ歌』を演奏し始めた。しかし彼がその曲を演奏し終わる前に 観衆の黒人青年が 刺し殺されパニック状態の中 3人が死亡。百名以上が負傷した。ボーカルのミック・ジャガーとギターのキース・リチャードは、アンダーグラウンドの映画制作者ケネス・アンガーとの関係を噂されストーンズは 魔術に手を出しているとの評判が立っていた。アンガーの強い影響を受けていたミック・ジャガーが、アルバム「サタニック・マジェスティーズ」のジャケットデザインを決めた時も アレイスター・クロウリーのタロットカードの悪魔を見てそれを使ったと伝えられている。



1968年には ジム・モリソンhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3が 自分の音楽で人間をコントロールできるとの考えを実証しようと意図的に暴動を指示し成功した。同年、英国のロッカー、アーサー・ブラウンもヒット曲「ファイヤー」を演奏中 自分は地獄の火の神であると叫び 高さ3メートルの十字架によじ登り 髪に火をつけた。ブラウンの行動は、ロック・ショーの先駆となった。ロックコンサートは、観客を飽きさせないよう 突飛なステージ・ショーを繰り広げる。先のオジー・オズボーンのステージもとりわけ度を越すようになり 蝙蝠の頭を噛み切り 観衆に向かって吹きだす行為に観客の悲鳴は轟いた。


視覚効果は キッスのステージで頂点に達する。硫黄色のスモークから浮上する4人の顔には おぞましいメーキャップが施され口から火を噴きギターはレーザー光線を放った。キッスの意味は Kids in Service to Satan(サタンに奉仕する子供たち)の頭文字を採用したものだとの噂が立ち始めた頃、キッスの悪魔主義は アメリカの若者の心を無意識に破棄するものだと 根本主義者たちは 口を揃えて言った。その一つの方法に彼らが 隠匿したメッセージが曲の中に潜ませテープを逆回転で聴くと聴覚に直接訴えかけると言う手法であった。例えば 人気TV番組「Mr.エド」のテーマ曲には「一頭の馬は一頭の馬だ」と言うフレーズを逆回転させると「誰かがサタンの為にこの歌を歌った」となる。しかし正しい順序で語るサブリミナルメッセージですら その心理的効果は現れにくく まして逆回転で復元したものが言葉として認識されるのは、ほぼ不可能に近いと専門家は言っている。


キリスト教雑誌「パスポート」に掲載された記事には、悪魔主義のメッセージが低周波の音波を使ったロック・ミュージックを通して脳の情報を拒絶する部分に入りこみ行動や感情を変える事が出来、この陰謀を広めようとするものは オカルトに精通し暗号が音楽やコミュニケーションの手段に使われていると書かれていた。「ストナーズ・ギャング」のメンバーは 単語を逆に綴り ルーン、テーぺ ヘブライ パフシング マルチンなどの文字を巧みに使用した。しかしこれも 他者に理解できないはずであると研究者達は、言明する。1985年 ABC放送の悪魔崇拝の特集番組で 廃墟の壁に悪魔主義教団メンバーの書き放った落書きが、「SATIN RULES」 SATIN(サテン)と大きく映し出された。


ジョン・マッカラム(オジー・オズボーンの歌を聞いた直後自殺)を診察した精神科医モートン・カーランドは、こう述べる。「音楽とマスメディアは、人に対し影響力を持ちうるが それが発揮されるのは その人が情緒的に問題を抱えている時だけだ。ただし 子供が精神的に追い詰められているような時は サドマゾ、血、暴力を使いロックショー(見世物)や音楽で簡単に影響を受け易い。そんなモノののせいで 子供たちがおかしくなってしまう事もあるんだ。」

論争の核心は、ロックミュージックは、どのような扇動効果持っているかという点である。レコードの中の言葉で社会の破壊者になったり地獄におちる事は無い。前提に間違いがあり底から出発し先行したPMRCは、殆どヒステリー状態に陥っていたとフランク・ザッパ。殆どの犯罪心理学者もまた 疎外感のある者は 自分を養護してくれるようなグループにひきつけられ そんな危険も生じかもしれないが どんなに冒涜的 また暴力的でも音楽自体が第二、第三のナイト・ストーカーや チャールズ・マンソンを生み出すことはないと判断する。


是に対抗するかのようにカリフォルニア州の保護監察官 ダーリン・ペティニキオは「バック・イン・コントーロール」を設立した。脱ヘビーメタル方法講座を通し製作した映画で青少年を教育する。大人側には、音楽と悪魔がいかに深いつながりを持ち危険であるかを書いた手引書を配布した。「オカルトの落書きは、地下に書かれていることが多く 橋の下や水路の壁 フリーウェイの立体交差の死角など 地獄や悪魔に近いところです。五芒星 カギ十字 逆十字架 ダビデの星は、悪魔のシンボルであり彼らは それがキリスト教に反するものであることを知っているのです。」ペティニキオは、こう主張した。

四巻にわたる悪魔史をかいた歴史家ジェフリー・バートン・ラッセルは、次のように言っている。「悪魔は勿論 文化の敗退 悪魔趣味 悪魔を真似たロック・グループにある程度は関心がある。しかし それ以上に核兵器 強制労働収容所帝国主義的搾取に夢中なのに違いない。」

三尸(さんし)

天帝から命を受けて人体の三部位に棲息するとされている三尸。三尸それぞれが持つ この巻物には、その人間の悪事が細大漏らさず記入されていると言う。


平安時代、庚申の日には 徹夜をして起きていると言う慣習が行われていた。理由は、人間がこの世に生れ落ちた日から 胎内には三尸という悪い虫が棲み付き生涯身を離れず その人間を四六中監視し とりわけ庚申の日ごとに当人が眠っている間 天に登り 天帝にその人間の罪科を 洗いざらい 告げ口をすると 信じられていた。三尸説のオリジナルは、道教にある。


三尸の告げ口のせいで 人間は寿命を縮められると考えられてもいた。三尸の存在を信じたものは、庚申の夜だけは、決して寝ることをしなかった。これを庚申信仰と呼ぶ。

三尸は、下尸 中尸 上尸に分類される。 

下尸は、足を棲家とし精力を減退させ命を奪う。
中尸は、腸内に棲みつき 大食痛飲させ 五臓を損ない 悪夢の原因にもなる。
 
上尸は、人間の頭部に棲息し 眼を悪くさせ 顔を皺を促進させ 頭髪を白髪にさせる


三尸の害を免れるには、庚申の日に決して眠らず 身を慎み三尸の名前などの呪文を唱えて過ごすと 病気に罹らず 長生し 災禍に遭わず 幸福な人生を送ることが出来るのである。


庚申信仰 三尸駆除呪文

    • ホウコウシ、ホウジョウシ メイコシ シツニュウヨウメイイチュウ キョリガシン

▼どうしても眠りに落ちてしまいそうなら 眠る前には必ず この呪文唱えると良いとされている。

    • シヤムシハ、イネヤサリネヤ ワガトコヲ ネタレゾネヌゾ ネネドネタレルゾ


2006年 庚申の日
1月31日
4月1日
5月31日
7月30日
9月28日
11月27日

憑霊観破法

mminazuki2005-11-19

古神道系秘法
平時において 或いは外出時 または、神事の最中、自身の頭部に何らかの感応がある場合、どのようなものが憑いているのか 憑依霊の正体、属する霊界を識別し 具体的に知る方法がある。憑霊は 正神界系、天狗界 妖魅界 邪心界 魔界に分れ 正神界を除き その他の各界には人霊や動物霊が入り混じっている。尚、何らかの感応を気線と呼ぶ。気線とは、霊界と現界とをつなげる電波のようなもので 霊的に敏感な人であれば、その感触がわかるとされている。


神祇大道によると 頭頂部に爽快感を感じれば正神界の中位の神が憑依していると見る。この神霊は当人が 普段その存在を気にすることがないほど自然で清々しいものである。神意にかなって生きているまともな人間の通常の状態を示す。


逆に頭頂部鈍痛を感じ 疼くような痛みを知覚したならば 神の怒りに触れている疑いがある。痛みは強いほど霊或いは神の怒りは強いとみる。その際 飲酒 刺激物は避け身を慎み神前に向かい 神の怒りが納まるまで祈念を行う。単に気線を感じるだけであれば 警告、注意の暗示で 本人に害が及ぶ事は無い。


頭頂部に近い両側面に疼痛、異常感を感じたのであれば 先祖霊がの警告 或いは怒りを伝えているとみなす。男性の場合、右側面は女の先祖霊、左側面は男の先祖霊である。女性の場合は この逆になる。謹慎反省し供物を捧げ冥福を祈らねばならない。尚、この部分に爽快感あれば 先祖は喜んでいるといわれている。


さて この先祖が自分とどのような関係であるのかを知る方法がある。気線を感じた際 或いは、疼痛があった場合速やかに左手を広げるべし。(女性は右手)その瞬間 特定の指が 冷気を帯び ぴくぴくと震える。この際 親指であれば遠い祖先、人差し指なら父親か祖父。中指は母親か祖母。薬指なら 兄弟姉妹か叔父叔母、小指なら子供の霊の印とされる。


親指の指頭に針で突かれたような痛みがあったなら 先祖が本人に凶事、災難の近い事を知らせていると見る。また親指側面がズキズキと傷んだ場合、本人に近く降り掛かる災厄から 護っている状態を示す。指の根本に理由の無い痛みを感じた場合、その指に該当する霊が供養を求めているので 速やかに神事を執り行う必要がある。そのほか その指の該当者に急変の起こる前触れである事も忘れてはならない。


頭頂部、額に近い場所に気線 痛みを感じた場合、その憑依霊は 霊格の低いものと判断される。人によっては天狗界の霊物が憑依することもあり 天狗界の「正」「邪」によって 疼痛部は異なる。


後頭部左右に痛みが現れたときは 修行中の動物霊、狐 狸 鳶 鷲などが 考えられ また 変死者 夭折者 この世に未練を残し死んだ者の怨霊が憑依する場合も 左右後頭部に異常な気線を感じ 果ては首筋から両耳上部に ぞっとするような冷気を感じる。死霊に限らず 生霊の怨念である場合も否めない。人によっては肩に異常な重圧を感じるものも居る。


妖魅霊が憑依すると コメカミ付近から側面耳上部辺りに気線を感じ 何者かが重く留まっているような不愉快な感じなる。妖魅霊は、野狐が多く 祓いを受けたり祝詞を唱え霊的な防衛をしなければならないとされている。


龍神系が憑依すると頭全体を紐で絞められたような気線を感じる。痛みを感じれば龍神の怒りに触れているとみなししかるべき対処法を取らなければならない。龍神の怒りの原因は、知らぬ間にその聖地を汚している場合が多い。同様に 頭全体が紐で絞められた感じでその位置が 耳上部あたりをぐるりと取り囲むのなら 蛇霊の仕業である。


頭全体をすり鉢で覆われるような重い気線を感じたならば 浮かばれない浮浪霊が 今まさにとり憑こうとしているときである。このとき 注意をしたのは 自分の傍らに者に既にとり憑き憑依が始まっている場合も少なくない。憑依霊がものを言いたいときには 男の霊であれば左腕 左足、女の霊であれば 右腕 右足に気線を感知するであろう。


さて 貴方はどのタイプ?

注:古神道秘法は、精神を集中し慎重を期し毎朝、祝詞を唱え修行を積んだ者のみ識別者となれる。安易に行うと妖魅界 邪心会の邪霊がとり憑き、精神に異常をきたすと恐れられている。

富貴得る大繁栄の聖天信仰

mminazuki2005-11-10

大聖歓喜天(聖天)
頭人身の男女の神が抱き合っている異形の天尊は、財福 病気平癒 災難除法 悪人駆除など 祈れば必ず成就しないことはないと信じられている。諸仏諸菩薩の母とされ その姿は陰陽和合 天地一体の秘儀を顕現している。聖天信仰は、信者の熱心な祈りと行者の法力、聖天の妙智,三力冥合の結果心願成就されるとされているが、しかしこの聖天信仰、兎に角其の代償が恐ろしい。個人で祀る、或いは供養することは、困難である。聖天には 双身と単身があるが 前者より後者の方が気難しく 極端に不浄や穢れを嫌い 日々の供養 祈祷は無論のこと不浄、怠慢は 即座に行者の身に厳罰が降りかかるというのである。


聖天は、霊験がありすぎるため 子孫七代までの福を一代で取ると言われている。人も羨むばかりに大繁栄するが 子孫が絶やされたり 死後の財産がきれいさっぱり失われるとも目され また一代のうちに幸運を勝ち取り一時的に絶頂を極めるが 其の直後急転落下の運命を辿るといった不運な話も聞かれる。


聖天の本誓は、その神紋である宝袋に表される。その宝袋は 砂金を入れる巾着で 中には 財産、健康 名誉 栄達など全ての財福が入っており 祈願者には 福分とし与えられるのである。またどんな悪人であろうとも聖天を信仰していれば 平等に利益を与えるというのが特徴である。単なる善悪の人智を超え その信仰者を絶対見放さず徹底的に加護する。故に聖天に背いたら戒めもまた格別な世にも恐ろしい神とされている。


■著名な聖天信者
  財閥三井家祖先 三井高利
  川崎造船創設者 川崎正蔵
  材木商  紀伊国屋文左衛門
  初代総理大臣 伊藤博文
  義太夫界の三世 竹本津太夫
■証文使呪法経
もし人があって諸天のため捨てられたとしても
我 聖天を念ずれば 即座に現じて皆円満にする


寿命の尽きた人の命をつなぐ場合の命続祈祷も 聖天に対する祈祷が一番とされている。京都、宇治市の御蔵山宝寿寺住職、小松澄光は 著名な聖天信者であった。大正6年 参議院議員の林屋亀次郎の長男、善作の病気平癒祈願を頼まれた。しかし祈祷の甲斐も虚しく善作は 京都の大学病院で息を引き取った。亀次郎は、仕方なく葬式の手はずに家へ戻る途中 澄光の寺に立ち寄った。亀次郎が長男の訃報を告げると澄光は、こう言う。


「祈祷中 何の支障も起こらず 極めて順調に運んだ。この病気は必ず癒えているはずだ」と亀次郎を病院へと戻した。するとなにやら病院では大騒ぎになっている。さっき死んだはずの息子が生き返っていたのである。また澄光は、80歳の高齢者の命続祈願の依頼を受けたが、聖天は実に恐ろしげな顔を見せたという。延命か絶命かは 其の祈祷の最中、聖天から何かしらのサインが送られてくるという。澄光はこのご老人を助ける事は出来なかった。無理に延命を祈祷した澄光は、油が沸かなかったり 火が消えたり 其の祈祷を妨害するかのように 壇から三度も転げ落ちたのであった。


聖天に祈願する際、絶ち物をしたり 願掛けを行うが中途半端な気持ちでは邪道に陥り易いとされ 戒められている。絶ちものは 聖天の好物とされている大根、酒 餡入り団子等 生涯食べないと誓い心願成就を祈願する。絶ちものを万が一破ったりすると 必ずそれなりの咎めや罰がくだるといわれている。

■聖天信仰による心願成就法
聖天の前に安座し「入我我入観」(ニュウガガニュウカン)による修法、聖天の真言である「オン・キリ・ギャク ウンソワカ」をその梵字を心に浮かべ一万回以上唱える続けていると聖天と一体化でき やがて思うとおりの事が実現できると言われてる。


世にも恐ろしい聖天信仰を行ってみる勇気はおありですか?