松本清張 酒船石の考察

ミステリー作家 松本清張は著書「ペルセポリスから飛鳥へ」の中で この酒船石について 飛鳥地方に移住してきたイラン人が薬酒を造る際の用いた道具ではないかと書いている。また彼の実験の結果および考察は次の通りである。酒船石の東側(櫛形)に水を満たすと約17度の傾斜に従い水は中軸線の細長い路溝と両側30度づつに開いた路溝に勢いよく流れてゆく。中軸線の路溝を伝わる水は中央部の大きな小判型の窪みに入り さらにそこからあふれ出てその先の円形の窪みに入る。(現在欠損)こうして水はまた西側から落ちる。落下した水は、別の容器が受ける仕組みになっていたのだろう。酒船石の西端斜め南側には長楕円形の窪みがありこぼれた水は これに入って溜まる。洩れの無駄を防ぐためだと判る。実験の結果一滴も水が流れ込まない窪みがあるが 路溝に僅かな凸部が見られ、乾燥させておく工夫が施されていた。これが何を意味するかは、拝火教の動物犠牲の関連性がうかがえると言う。



清張は イランの骨董品店で正倉院宝物と同型の瑠璃碗を発見する。これがきっかけとなり6年後の1978年夏 古代ペルシャと古代日本の失われた線を解明するため再びイランの地を訪れ拝火教ゾロアスター教)の儀式に参加する。拝火教神殿では 白尽くめの祭司が燃え盛る火炉の傍らで経文を読む。祭司は鉄格子で区切られた内部に位置し信者はその鉄格子の手前で跪き机の上の香炉に線香のようなものを燻じさせながら祈る。炉の聖火は前1200年前から絶えることなく燃え続けている。薪はオーク材を使用し祭司の読む教典は古代ペルシア語のアヴェスター、ゾロアスター自身が説法したと言い伝えられる「ヤスナの書」の一部「ガーター」であった。「ガーター」の中で繰り返し述べられる「ハマオ」はアフラ・マズタ神が好んだものとされている。

・ヤスナ第九章「ホーム・ヤシュト」の章句

ハマオ搾りの時刻のこと
火を清め ガーサーを誦していたザラスシュトラの元にハマオがやってきた。
彼に(ザラスシュトラは)彼にたずねた
「士よ、御身はだれですか」

太陽のごとき(不死)みずから生命をもたれ わたしが有象の全
世界でもっとも美しい方と見奉った方ですが。
すると 私に(サラスシュトラ)に彼はこう答えた。
義者にして ドゥーラオシャなるハマオがです。

ザラスシュトラよ わたしを持ってきなさい。スピタマよ。わたしを搾りなさい
飲むために。
のちにサオシュヤントたちも わたしを讃嘆するように私を讃嘆のために
讃嘆しなさい。 そこでザラスシュトラはこういった。
ハマオに頂礼あれ。
人間として誰が 御身を ハマオよ。

最初に有象世界のために搾ったのですが。
どんな恩典が彼の元にきたのですか。
そこで ザラスシュトラはこういった。

ハマオはよきもの 浜をハ立派につくられ 正しくつくられたもの
癒しの力賦与され 美しい体をもち 優れた働きを示し
勝ちを制し 色は金色 枝はしなやか
それを 飲む時は 最勝のもの そして魂には第一の道案内です。

ここへわたしを 呼び降ろす。
ここへ力を
ここへ癒しの力を
ここへ 栄えさす力を
ここへ 育成さす力を
ここへ渾身の力を


儀式が30分ほどで終了すると清張は 別室に招かれる。そこには祭司が胡坐を組んで座っていた。祭司の前には正方形の白布が敷かれ その上に置かれた銅製や銀製の小鉢は古びて黒くくすんでいる。祭司は ガーターを唱えながら仏教法具の独鈷に良く似たものを二つ使いざくろの枝を挟んで搾る。すると濾過された液汁は、据えられた大きな銅製の鉢に落ちてゆく。祭司がその鉢から分けた飲み物を清張に差し出す。彼が舌の先でそれを味わってみると僅かに薄荷の香りがするだけで無味であった。これがハマオかと祭司に訊ねるとそうだと答える。清張は、これ(ざくろの搾り汁)がハマオではないことを悟る。ハマオは どのような樹木から採るのかと訪ねると祭司は赤い色の木で「フーム」とだけ答えた。ハマオはフームと云う植物の搾り汁を入れてこそ完成品なのである。清張は 祭司にハマオが媚薬的な効力があるかと訊ねてみた。祭司は首を横に振って否定した。しかしハマオには エクスタシー症状 幻覚作用を起こさせる麻薬の要素があることを「ヤスナ」の文句で推察できると清張は言う。

ゾロアスター教(パールシー教)の祭儀
オーストリア放送協会の記録映画では ボンベイゾロアスター教(パールシー教)の祭儀の撮影を行った。台本に記された内容によるとコーカサス山脈には 紀元前からソーマ 或いはハマオと呼ばれる麻薬の植物がありゾロアスター教の儀式に用いられてきた。伝説によれば ゾロアスター教よりはるか昔の宗教にも ハマオという麻薬の取れる植物が大切な役割を果たしていた。ゾロアスター教経典には この儀式の事が詳しく記され儀式に用いるハマオは その樹液から搾る一種の酒であった。ハマオの儀式は 7人の立会人を必要としハマオの盗用を厳しく規定している。ハマオ酒を造るにはまず山羊に乳と水を混ぜ その中にハマオの小枝を焼いたものをいれ醗酵させる。それを十三ヶ月と三日寝かせ火を通し清める。ゾロアスター教では 水は万物の源、山羊の乳は生命の元 ハマオは不老長寿と知恵を象徴するものと考えられている。ハマオは アヘンと同様に心臓の動きを刺激し血圧を高めることにより人体に精気を与え 安らぎをもたらすものとして利用されてきた。しかし当時でも麻薬性の薬物は 社会にとって危険な存在であり宗教的な儀式においても 厳しい規制があった。
The myth of light-also sprach Zarethushtra 
製作:オーストリア放送協会

清張は、こう続ける。酒船石はイラン人がハマオ酒或いは それに近い薬酒を造っていたと推測される。大麻はイランや中央アジアの平原に自生する。ヘロドトスは、【歴史】でカスピ海のスキタイト人が発熱した石の上で大麻の葉を焙り その蒸気を吸引し歓喜に酔いしれていたと述べている。飛鳥地方に移住したイラン人は、ゾロアスター教徒であったろうから当然大麻を吸いハマオ酒を自分らで造って飲んでいたろう。その他の薬種については 不明であるが 植物のほかに鉱石 骨の調合である。飛鳥移住のイラン人が本国から医薬品として持ち込んだこれらの薬草を使用しないわけはなく 特に骨や鉱石はそれを砕いて粉末にするのに 酒船石の「石皿」は かっこうな造りである。また イラン本国から持ち込まずとも 薬草の材料は日本にもあった。このように酒船石は 一種のハマオを造る施設だったと私は推測する。それにしてもあの巨大な石造物で造るにしては 量が多すぎる。しかしハマオは、個人で作るのではなく 集団で製造するものなのである。酒船石を思わせるような石造物はイランには見当たらない。だから あるいはこれは蘇我氏に奉仕して飛鳥地方に移住したイラン人の工夫なる特殊な酒造製造施設であるかもしれない。


http://ja.tezuka.co.jp/manga/backlist/mi04/mi04_00207.html
<酒船石奇談>


ゾロアスター教
西アジアに紀元前1000年からあるミトラ教を理論化し組織化したもので善と悪の二元論を採用している。ゾロアスター教では チンワントの橋でアフラ・マズタ神の審判により人々は、天国か地獄を決定される。この二元的世界観は 光明の善神アフラ・マズタと暗黒の悪神アングロ・マイニュ(インドではアシュラにあたる)との長い闘争を描きアフラの敗北による終末論と最終的にはアフラが勝利する救済から成る。ユダヤ教は、この二元論から影響され悪魔の存在を認めた。また仏教の極楽 地獄の裁きは 拝火教ゾロアスター教)の影響を受けたものであるとともに釈迦入滅後3000年目の終末論もゾロアスター教の終末論を採用している。キリスト教にも終末観があり滅ぶべき悪の世と来るべき善の世とに区別されている。ゾロアスターの救済者は預言者であり仏教においては弥勒 ユダヤでは ダビデキリスト教では キリスト(メシア)なのである。

つづく