ユダの福音書

mminazuki2006-09-20

・ユダ福音書 禁断の聖書の発見

ユダの福音書 よみがえる福音

ユダの福音書 笑うイエス

イスカリオテのユダ

福音書は4つではない

MSN VIDEO

プリニウス伯父さんのお薬作り三種。

mminazuki2006-08-26

プリニウスの頭痛の薬

頭痛の薬は、カタツムリの頭にある。まだ完成していないので 殻にはいっていないカタツムリの頭を切り取る。それからカタツムリからとった堅い石状の物質、(それは、小石ほどの大きさである。)も そうで これはお守りとして使用する。一方、小さいカタツムリは これを潰して頭に擦り付ける。また羊毛脂もある。ハゲタカの頭の骨をお守りとしてつけるか その脳に油と ヒマラヤスギの樹脂を加えたものを頭全体に擦り付け 鼻孔の奥の部分にその軟膏を塗りつける。カラスかフクロウの脳を煮て食べる。一昼夜餌をやらずに囲っておいたオンドリの首から抜き取って羽毛または トサカを 患者がその鶏と一緒に絶食していて 自分の頭のまわりに結びつける。イタチの灰を塗る。トビの巣から 小枝を一本抜き取って枕の下に置く。
(以下延々と続くので略)

    • どうもカタツムリとは、なめくじのことらしい


プリニウスの睫毛の薬

カラスの脳を食べると睫毛を生やし また羊毛脂および没薬を温めて搾り 針で塗っても同様だと言う。蝿とねずみの糞の灰を等量に混ぜ全体の目方が半デナリウスになるようにし アンチモニーを6分の2デナリウス加え 全部に羊毛脂を混ぜて塗っても 同じ結果が得られることは請け合いである。 あるいは小ねずみを潰して古いぶどう酒に入れ鎮静剤ほどの濃度にし用いても良い。 睫毛の具合の悪い毛を抜いたとき ハリネズミの胆汁 斑点の或るトカゲの卵の液の部分 サンショウウオの灰 緑のトカゲの胆汁に白ぶどう酒を加え それを銅の器に入れて天日に干し蜂蜜の濃度に濃縮したもの ツバメの子の灰をトウダイグサの乳香の汁およびカタツムリのぬるぬるに加えたものによってその再生を妨げる。

    • 具合の悪い睫毛というのは 逆さ睫毛のことらしい。
    • 6分の2とは、三分の一ではまづいのか?


プリニウスの顔の薬

顔のしみは、羊毛脂に一番辛いと考えられているコルシカのハチ蜜で取り除かれる。顔の皮屑はそれにバラ油を加え一片の羊毛に塗って貼る。バターを加える人もいる。しかし鱗癬があるなら イヌの灰をそのシミに塗るが まずそれを針で突いておかなければならない。青黒いシミや打ち身は、 子羊かひつじの肺を熱したのを切って薄片にして貼るか さもなければ ハトの糞をぬる。 顔の皮膚は ガチョウかメンドリの糞によって保護される。また疥癬には、ねずみの糞を酢に入れて塗るかハリネズミの灰を油に入れたものを塗る。そういう治療をするのは、まず顔をソーダと酢で蒸しておかねばならないという。またいろいろな顔の病気は、 どこにでもいる幅の広い小さなカタツムリを焼いた灰に ハチミツを加えたもので除かれる。実際すべてのカタツムリの灰は、大変洗浄力があるので 悪い体液を抜き 身体を温める。 だからそれは 腐食性の薬剤に配合し疥癬 らい腫 ソバカスなどに対する塗り薬として用いられる。


虫の薬効(民間療法)

    • 蜂の子(白い幼虫)には、蟻酸・アミノ酸などが含まれているので滋養強壮の役目を果たす。
    • 乳汁分泌不足の女性に 炒った蟻の巣を粉末か黒焼きにして内服させる。
    • ミミズは熱をさまし、風邪、咳などに効果がある。(成分;アデニン、リジン、)
    • ナメクジ、カタツムリには、グリコーゲン、消化酵素を豊富に含有している。
    • ナメクジのねばねばした液は唾液で、気管支や花粉症など鼻や喉の病気に効果がある。
    • 蝉の抜け殻は、砕いて粉末か煎じ皮膚炎、のどの痛み、咳などの際に用いる。

母系相続(Matrilineal Inheritance)

mminazuki2006-07-14

新石器時代には、母系氏族制度と母権の支配が 殆どの地で実施されていた。エジプトの古い書物には 母から娘へと伝わる財産を持つ女性が、自分自身と家庭を支配する様が描かれている。


聖書には、昔の母系相続と妻方移住婚の痕跡が見られる。アブラハムは、息子の嫁を探してきた時、家から連れ出す償いとして 花嫁、花嫁の母、兄に多くの贈り物をした。母方の家から女を離すことは、法律に違反する事であった。


・すなわち男は、その父と母から離れ妻と結び合わなければならない(創世記2:24)
・ナオミは、嫁たちにそれぞれ自分の母の家に帰っていくようにいった。(ルツ記1:8)


キリスト教到来までは、英国種族の間で 母権相続が原則となっていた。ピクト人は、女性の家系、全財産、王国までも相続したが キリスト教が浸透すると 古い母権の掟は衰退していく。6世紀のイングランドでは、母系と父系の平等相続法を取っていたが 夫から離れようとした妻は全財産の半分と子供全てつれて出られた。


英語の跡取り"heia"は、"heres"から出たもので女地主を表すギリシア語"here"或いは"Hera"と同義語であった。


異教徒のケルト人の間では、男は子供に何も譲らなかった。男が死ぬと その財産は、姉妹か姉妹の子供たちに相続された。ブルゴーニュとチューリンゲゲンの古い法律に従えば 財産は女系だけに譲り渡されていった。


カール大帝は、娘たちの結婚に反対した。これは古いフランク族の母系相続法のもとで 娘の結婚は王国の分割を意味するものと思われていたためであった。


ローマ帝国以前のラティウム(ラティーニ人の国)では 土地所有は、"Latifunda"と呼ばれ 女神ラットが 生み出した制度であった。国の名の由来も"女神ラット"にちなんだ名であり土地の所有者 継承者は、母系を採用していた。このように土地の区画は、家母長に属していたがのちに ローマ帝国になっても 妻が毎年連続して三晩家を離れて過ごす注意を怠らなければ 夫は妻の土地 或いは 財産を要求できない仕組みになっていた。これは イスラム教になる前のアラブ人の習慣、「妻は、三日三晩夫を家から閉め出して離婚した。」或いは、その更に古い習慣の名残のようである。


ギリシアでは、土地の一区画を「月」"temenos"(女に属する土地)と呼ばれ 女神の寺院を囲む周辺の土地を意味するようになった。しかし原始時代には、全ての家母長の炉床は 女神の寺院であった。アッティカの人口と土地の単位は、デ"de"すなわち女神デ・モゼル"de Mother"(デメテル)に由来するデモス"demos"であった。族長は、家付きの家母長との結婚を通じてのみ支配が可能になった。


ほとんどの古代社会においては、若い男性たちは、母方の家から出て よその土地で幸運を求めた。と言うのは 自分の姉妹たちが家族の所有している財産を告いだからである。家を離れ遠い国の女相続人との妻方移住婚を求めることは ギリシアの男性も異教の英雄たちにとっても 不変の習慣であった。


婚姻"matrimony"は 家督"patrimony"の女性型に相当(母方財産相続)する意味があったが "matrimony"が結婚と同義語になった理由は 男性にとって 財産の支配権を獲得する一つの方法であったからだ。


リディアでは、女性が土地を所有し共同生活を治め 恋愛に関しても主導権を握っていた。エジプトは、旧式の母権制の結びつきと父権制の結婚が並んで存在したが、相続は父より 寧ろ母を通じて行われていた。この制度は、父と子の比較的はっきりしない関係より 母子の明白な関係が認められた証である。エジプト人の娘に生まれると財産を継ぎ 老齢の両親の面倒を見る義務があった。


男性の学者の多くは、古代の古代の母権制度について 書くことを渋ってきた。W・ボスカウエンは、こう言った。「バビロニアで女性たちに許された自由とは、女が自分の財産を持ち それを許可されたことだった。(中略)この地の母はつねに『家の女神』を意味するしるしによって 表されている。」これは、一見男たちが寛大だったからこそ女性が財産を所有できたとの意味に捉えられるが 女性は母嫌の強固な掟によって財産を所持していたのだった。


土地財産は、はじめに土地を耕したのが女性であったため女性の手に所有権が確立されたといわれている。原始人の中には 本来女性に備わっている生命と魔法だけが植物を成長させることができると信じていた。


『女性は、生み出す方法と種に生み出させる方法を知っている。男性はこう言うことを知らない。』


南北アメリカの原住民 アルゴキアン族をはじめ カイオワ族 クリー族など、農業を発案したのは 耕された畑の唯一の持ち主である女性だと述べ 妻方移住婚及び 「家」を母系所有することが習慣となっており 古代ギリシアにおけるように父親は、部族の中で「よそもの」の扱いを受け 母、女は、酋長の任命も担い 部族の中で大いなる勢力を持ち土の主人」と呼ばれていた。イロコイ族がアメリカ政府に土地を譲渡する際の書類に男の「印」では無効となり女性の印を必要とされた事実が残っている。


南米に渡ったある宣教師が驚いていた。「女性は あらゆる物を所有し もしも夫が妻の気に障る原因を作れば その原因が本物であろうが想像上のことであろうが 妻はテントと家具をしまいこみ 子供たち全員を引き連れ カヌーまで持って出て行った。」 この時代、宣教師の故郷の法律では 妻には、衣服に至るまで 何の法的権利も与えられておらず この反対の事が唱えられていたからだ。宣教師は、この先住民の習慣に驚き 男性の敵意を期待したが インディオの男性は、「母親の特典」に対する反感を持っていなかった。キリスト教が父の権威を当然と考えるように 母の権威を当然と思っていた。またインディオの男性は 妊娠中の妻が欲しがる特別な食物を得るため 50マイルも探し歩く事が当たり前であったとも言われている。


アフリカ駐在のヨーロッパ政府代表団、伝導師は 原住民の母権習慣に反対する宣伝を繰り返し 女から土地を取り上げ男に割り振った。(ヨーロッパ式土地改革)部族の長であった女たちは 自分の子供を養えず 見下され伝導師たちは 女性の自尊心を破壊する事に成功した。


旅回りをするジプシーの間でも母系結婚の習慣が存在した。ジプシーの伝承によると女主人は 絶対に母の元を離れる事はなく 死ぬと家の門口のしたの土に埋められた。


母系制度及び 女性の財産所有権に対する争いは、何世紀も続き ついに19世紀、女性は、自分のものと呼べるものは、何一つ失った。英国においての妻は、たとえ財産を所有していても 管理はおろか 夫の承諾なしに財産分配の遺言書を作れなくなった。1930年フランスでは、夫の許可なしで妻が銀行との小額の取引も禁じられた。


【Ma】マー
印欧諸語において「母親」を意味する基本的な音節。しかもMaマーそのものが「女神」の本源的名称として崇拝された。母親を意味するこの言葉が各国に共通しているということは、人類がまだ父系の概念に思い至らなかった大昔 母を意味する言葉が最古の発祥の地から世界に伝播したのか 或いは 生後はじめて口にする言葉が「マー」であり本能的に音を発する事で母親の乳房と関連付け乳を与える母親と実感させられる女神と結びついたのかいづれかである。極東では、母系親族の構成員を結合している母方の血の絆を"mamata"(私の物)と呼んでいた。"Ma"は聖なる文字とみなされ「生命の火種」であるといわれた。Maは、同一母系親族内の全ての霊魂を一つに結びつけている霊妙な本質的要素(経血、母親の血)を示したからである。


【Maat】
正義・真理を擬人化したエジプト女神 マートという名は、Maに由来している。


【Maira】
グノーシス派が用いた名称で 「イシスの星」 「金星」あるいは 聖母マリアの称号「海の星」を指した。


【Mammisi】
エジプトの母性を祀った神殿。王妃が初子を生んで女神との合一を遂げるとその王妃の母親に敬意表し建立された。


【Mahatma】
ヒンドゥー教の賢者。文字通りの意味は、「太母」であったが、セム語の"ima"(母親)が 男性賢者を表す"iman"に変化したのと同様 マハートマも男性を表すようになった。マハートマは、本来「原初の家母長たち」だったのである。


【Malinalxochitl】マリナルホキトル
アステカ族の神話に登場する「原初の母」当初彼女は 人間をはじめ全ての獣の支配者だったが やがて彼女の兄弟の一人父権制を崇拝するアステカ人の首領になった男神にその地位を奪われた。この戦いに敗れたマリナルホキトルは、以降 悪魔と呼ばれた。


【Mari】
カルディア人では、マラトゥ ユダヤ人は、マーラーペルシア人は マリハム キリスト教徒には マリアとして知られる女神の基本となる名前。女神は、また神々を生んだ大魚でもありのちには、人魚(Mermaid)といわれた。マリは常に母なる海だった。


【Maere】
ヘカテのトーテム獣で 黒い雌犬。トロイにおいてヘカテを体現していた女王ヘカベは、オデュッセウスに捕らえられると 黒い雌犬に変身した。ヘカベ(マイラ)は 殺され「雌犬の墓」に埋められたといわれているが 一説によると彼女は 呪文や呪いの言葉で敵を脅かし容易く逃れ オデュッセウスを長期間 呪いによって異国を放浪させたとある。


【Magi】
呪術師たちの意味で キリスト生誕物語では、「東方三賢人」を指したが 西暦初期のローマでは ミトラ教の聖職者、占星術師 治療師 超能力者を意味した。


【Mara】
死の運び手 老婆としての女神の非常に古い名称。セム族は、マーラを深い海、或いは子宮を「外からかかる重さと暗黒」と関連付けた。 


【Macha】
亡霊たちの大いなる女王の意でケルト人到来以前から アイルランドで崇拝されていた女神。アイルランドのマハは、中央アジアのマハ・アラ(生と死の母)と同じだった。マハは、王妃マアカとなって旧約聖書に登場した。マアカが体現した女神の霊は 森の中の偶像と言う姿で崇拝されたがやがて 息子の「アサ王」によって破壊されてしまった。(列王記15:13) マハは、戦場にも出没し殺害された男たちの血を用い魔術を行った。 マハは妖精の女王マブとも同一視され三相一体の女神として ドルイド教の女魔法使いとなり 英雄クーフリンに死の呪いをかけたとされる。マハの声を聞いたものは 死の国に召された。


【Mammon】
中世において 商売上の強欲さ表すデーモンとされ その名は「富」を意味した。しかし この名称の中東における本来の意味は太女神の尽きる事のない乳房から豊かに流れ出て子供たちを養い育てる乳だった。


【Man】
古期スカンジナヴィア語にあっては、"man"は「女」を意味した。Manは「月」であり ヨーロッパ諸民族は、万物の創造女神を言った。サンスクリット語の語根Manも月と叡智とを意味していたが 両方共に太女神の基本的属性だった。


マン島
月の女神への捧げもの。マン島の月の女神は 或る時は人魚に あるときは両性具有のアフロディテと言われ 「さかさまにふせた壺」すなわち塚状の墳墓 幅は狭いが丈の長いドーム型玄室をもった 蜂の巣状墳墓の中に人間の霊魂を保有していたと言われている。マン島の住民たちによる伝説では 月の女神が現れ男の島民を誘惑し海中に連れ込み 男たちは海で死んだと言う。しかし 実際は、死んだ男たちの亡骸が子宮に喩えられた海に還されたものと思われる。また マン島には、魔法の宮殿があり13本柱の地下礼拝堂があった。礼拝堂を訪れたものは 必ず柱の数を数えた。この儀式を怠ると神殿に閉じ込められ二度と出る事は出来なかった。後にこの神殿跡地には 大量の塩がまかれ神殿は跡形もなくなった。

【Magic】呪術

イヴからの原罪

mminazuki2006-07-10

あなたたちは、自分がイヴだということを知らないのか。あなたたち女性に与えられた神の刑 この時代も生きている。あなた方は悪魔の入り口である。神の掟を最初に捨てたひとである。悪魔が攻撃する勇気をもてなかった男を あなたは説き伏せた人である。あなたがたは、あまりににも簡単に 神の似姿 つまり人間を破滅させた。 あなた方の罰 すなわち「死」のせいで神の御子まで死ななければならなかった。(テルトゥリアヌス キリスト教初期著作者 教会神父(155-220))


イヴは、生とそして死も もたらした。彼女は あらゆる生物形態をもたらしたが それは、すべて生きているからこそ 死の支配下に置かれたのである。信仰が父権制をとる場合 生物全てが死ぬ運命にある事実は 有限の生を与えた太母のせいにされた。永遠の命を約束された楽園から アダムを追い出した神を責めず家父長たちは、この原因を作ったとするイヴを非難した。『シラフの子イエズスの叡智書』には、悪は、女から始まり「イヴのせいで 私たちは、死ぬ運命を背負った。」とある。キリスト教会の神父たちは、「イヴは、蛇の子を身籠り死を生んだ」と言った。聖ヨハネ・クリュソストモス(4世紀キリスト教雄弁家)は、コンスタンティノーブルの総司教を務めたが 女帝エウドクシアは、クリュソストモスのイヴの原罪に対し それ以後生まれた全女性の種子は イヴの中に既に存在していたのであるから イヴの犯した罪によって「女性全てが反逆したということになると主張し彼を免職とした事実がある。


エノク書』には、イヴの犯した罪に対して全人類を罰するために 神が死をつくったとある。父権制の思想家の多くは、たとえ間接的でも神を非難することを躊躇い イヴが神に従わなかった時に 死が出現したと主張した。


パウロは、イヴだけを責め アダムには りんごを食べた罪をかぶせなかった。
「アダムは 惑わされなかったが 女は惑わされあやまちを犯した。」(テモテへの第一の手紙2:14)


西暦418年教会会議では、イヴの不服従の結果死が存在するのではなく むしろ死は当然の必然であると言う者に対し異端を宣した。


教会の神父たちが 女を恐れ憎んだ根源は イヴの罪にある。そしてこれが全西欧社会に浸透し広がり男女差別主義者の受け止め方になってゆく。女は、死と同一見られ死に拮抗する生誕に対するイヴの責任は奪われ 生の創造は 父−神の面目とされた。父-神を信奉する聖職者は、神こそが、死の呪いを取り除けると主張した。


聖書のアダムとイヴは、最も有名な物語である。蛇は、楽園で暮らすイヴに そっと耳打ちをし禁断の実を勧める。「これをたべれば たちどころに目が開け 神の様に善悪を知るようになる」と。アダムは、イヴにその実を勧められ食べた。知恵が付いた二人は、果実を食べたという事実をひとのせいにする事を覚え 無防備な自分の姿によって羞恥心が生まれた。また いつか自分に死が訪れる事をしり「怖れ」を抱くようになった。こうしてアダムとイヴは 神が理想とした天衣無縫の「人」では 居られなくなった。これが本来の原罪であった。しかし 後にローマ教会初代教皇は、アダムに禁断の実を食べさせ 失楽園の憂き目に遭わせた女は 男を堕落させる存在と女を貶めた。


イエス・キリストは、女性解放・男女同権の先駆者であった。男性支配の父権的キリスト教を目論んでいた教皇には この教えは都合の悪いものであった。当時男女同権を主張する宗派は カタリ派をはじめ幾つか存在した。これらを排除するには、女性を貶める必要があった。マグダラのマリアを罪深き女性で娼婦であると捏造し学問を学んだ女性 神秘主義者 自然崇拝者 祭司など 自らの立場を脅かす女を魔女とし火刑に処した。後の時代 修道士ハイリッヒ・クレーマー、ヤーコブ・シュプレンガーの著作魔女狩り教本『魔女の鉄槌』によって 多くの罪のない女性たちが命を落としていった。エスカレートした魔女狩りは、敬虔なキリスト教徒でない者、男性の意に添わない者を排除する手段になってゆく。


福音書は、80を超える。聖典として新約聖書では マタイ・ルカ・マルコ・ヨハネを採用したのは 聖人エイレナイオスである。彼は、多くの福音書の中で 出典が疑わしい文書切り捨てた。1945年 エジプトに住む農夫ムフマンド・アリ・アッサンマン古文書を発見した。これは、地名にちなみ ナグ・ハマディと名づけられた。長い研究の後 グノーシス主義に関する文書であると判明される。イエスを神とせず人間と捉えた異端的思想のグノーシス主義の主張は、一世紀当時のカトリック教会を脅かした。この時同時に発見されたトマス福音書には イエスに双子の兄弟及び兄弟が居た事が書き記され 聖母マリア処女懐胎を否定した内容が書かれていた。(性行為による妊娠・出産を都合の悪いものと考えた証)


12使徒のなかで ペトロはイエスにとって最初の使徒であり イエスの後継者でもあった。(ペトロは、イエス逮捕の際 逃げ出した人物として有名である。)彼は、イエスへの信仰心が人一倍強かったが 嫉妬深い一面もあった。そんなペトロが イエスが他の弟子と明らかに違う愛し方をしたマグダラのマリアへの嫉妬心を露にしないわけはなかった。「女は、生きるに値しないから さってもらった方が良い」と マグダラのマリアを追放しようと企てた。「ビスティス・ソフィア」と言う文献には、イエスとの対話を独占するマリアをペトロが 激しく非難しているため 後にマリアは ペトロを恐れていることを イエスに打ち明けている。またイエス磔刑に処されたあと マリアが弟子たちの前で 生前イエスが語った事を再現すると ペトロは、偽りであると激しくマリアを非難した。


「あなたは、ペトロ 私はこの岩の上に私の教会を立てる。」(マタイ16:17-19)第一弟子ペトロは、イエスの後継者として教会設置の使命を与えられた。マグダラのマリアとペトロのこれまでの対立をみてきたイエスは、マリアには、イエスの子孫を受け継ぐ子供を ペトロには、教会設置とローマ帝国に教会を浸透させる表向きの後継者として それぞれの役割を与えた。イエスの死後 イエスの子供を身籠ったマリアは ペトロはじめ ローマ人やユダヤ人から命を狙われ 水漏れする小船で南フランスに渡る。ペトロは、女性嫌いで有名であり女性蔑視の激しい人物であった。


救済を唱える宗教として初期におけるキリスト教は、その贖罪の仕組みの基本を 「女は、悪しき者」と言う前提の上に置いた。堕罪があるため救済が必要であり 堕罪は、女性たちの原型に等しい原初の女イヴによって引き起こされたとした。神の意思に公然と反抗したイヴの神話がなかったら 救済も救世主も存在しなかったであろう。初期キリスト教教会神父は、原罪を 性行為による妊娠と出産を通じ 未来永劫女性たちの手で 次代へと受け継がれていくと主張した。キリスト教以前、三相一体の女神が信奉され 処女・母・老婆の姿で顕現し 創造 誕生 死の循環を支配していた。しかし キリスト教は この女神信奉者 神殿 聖典 儀式を悪とみなし イヴはアダムから生まれたと出産までも男性の能力として求めた。但し女神崇拝の時代から父権制へと移行する要因が女性側にあった事も長きに渡る母権制を通じて窺い知る事ができるのではないだろうか。

Grail Holy(聖杯)

mminazuki2006-05-05

スペインに住んでいたムーア人の伝承によれば聖杯の神殿は、スペイン領ピレーネ山脈の「救済の山」にあるといった。

神殿の建物は 直径が100尋あり その周囲には72を数える礼拝堂があった。
礼拝堂は、二つが一組になり それぞれの組には、高さ6階の塔が一つづつついていて
塔の中には 外側についている螺旋階段から 中に入れるようになっていた。
神殿の丸天井は サファイヤで その中心には エメラルドの板がはめ込まれている。
神殿の屋根に聳える頂塔の内側には 太陽と月がダイヤモンドとトパーズで表され
夜の闇の中でも 真昼のような光を放っていた。
窓は 水晶や 緑柱石など 透明な石ででき 床には半透明な水晶が張られ
その下には 様々な海の魚たちが縞瑠璃を使って まるで生きている様に彫られていた。
塔は 金をちりばめた宝石で出来ており 屋根には 金と青い琺瑯が使われていた。
それぞれの塔の頂には 水晶の十字架が 飾られその十字架の上に一羽の金の鷲が
翼を広げていた。主塔には、大きな柘榴石が取り付けてあり 夜でも 騎士たちに
神殿おありかを知らせる為役立った。神殿の丸天井の直下には、神殿を模した
ミニチュアの神殿が置かれ このニニチュアの神殿の中に聖なる杯が保管されていた。


聖杯が 初めてキリスト教の最後の晩餐の杯に変えられたのは ブルゴーニュの詩人ロベール・ド・ボロンの著作「アリマタヤのヨセフ」においてのことだった。(1180-1199)


キリスト教神話によると 聖杯は、キリストが最後の晩餐に使った杯であり そのときキリストは 「わたしの契約の血」である。」マタイによる福音書(26:28)と述べ その杯にぶどう酒を注ぎ 十二使徒に飲ませたのだった。キリストが磔の刑に処せられると アリマタヤのヨセフは、その杯をイングランドに運び グラストンベリーの聖地に祀ったが やがて杯は、そこから姿を消してしまう事になる。

http://video.google.com/videoplay?docid=2119365880741187390

ド・ポロン著作によると 聖杯は元々サタンの冠に埋め込まれた宝石だったと言う。サタンが まだ天界の住人だった頃 6万人の天使たちが その冠をサタンに贈った。しかしサタンが地獄におとされたとき その宝石は冠からはずれ地上に落ち 発見された宝石から 杯が作られた。アリマタヤのヨセフが その杯を手に入れ 十ニ使途との最後の晩餐に使うようにとキリストに献呈した。この杯は 「破滅」をあらわしイエスは、心弱くなった時 神に向かってこのように祈った。「我が父よ、出来るならばこの杯を わたしから 過ぎ去らせてください。」(マタイによる福音書26:39


ヨセフは、その後 ユダヤ人によって監禁され太陰暦の一年と一日(365日)の間  飲まず食わずで地下の土牢に放置されたが、彼は 聖杯を所持していた為生きながらえた。ヨセフは ローマ皇帝ウェスパシアヌスによって解放された。そのとき皇帝は 聖ヴェロニカの「イエスの汗を拭ったのされるヴェール」で患っていた病が治ったことで キリスト教に改宗していた。ヨセフは、その後一団と共に イングランドに渡りグラストンベリーに聖杯の神殿を建て 聖なる晩餐の儀式に用いる円卓を備え付けた。また ド・ボロンは、円卓で空席となる「危険な座」を裏切り者ユダの席とした。また別のユダヤ人モイセス(モーセ)もこの席に座り 彼も高慢のかどで大地に飲み込まれたとある。


1230年ごろになると更に雑然とした内容を持つ『聖杯之巻』が現れる。(【流布本物語】フランス語散文)『聖杯之巻』の著者は キリスト自身の亡霊によって西暦717年の聖金曜日にシトー会の修道士に与えられたという体裁をとっていた。この作品では聖杯を その古い名称「大なべ」の名称で呼んでいる。聖杯を信奉する集団は、モンドランとナシャン(死と誕生)が支配する町サラスに入植した。ソロモンの船は、聖杯守護者をのせ 誰の力も借りず独力で航海し キリスト教を各地に広めていった。聖杯構成員たちは、多くの冒険を経験し 中でもブロンは、スコットランドに出かけ トリスタンと同様 毒を塗られた刀で負傷した。ブロンは その国の女王の介抱で傷が癒えると 女王の父を殺し彼女と結婚をした。


聖杯がキリスト教のシンボルへと変貌し 最終段階を迎えたのは シトー修道会によって書かれた「聖杯の探求」が出現した時の事だった。この書物の中で ギャラハットは 何事もなく「危険な座」に収まった。ギャラハットは、アリマタヤのヨセフの血統を引く完璧な「待望の騎士」であったとともに 彼が 童貞を失わぬ純潔な身であったからだ。ギャラハットは 川に浮かぶ石から魔法の剣を引き抜き 彼を通して 聖杯を円卓の騎士たちに伝えた。円卓の騎士らは、それまで興じていた馬上競技や宴会など異教的傾向から離れ 世界の果てまで 本物と言われる聖杯を探求する旅にでることになった。『探求』には、当時の宮廷風恋愛礼賛に対する反感が明瞭に示されている。


修道士だった『探求』の若者の真の意図は純潔の美徳をおおいに讃える事にあった。円卓の騎士たちは、一人をのぞき何らかの性的な罪を犯していた。パーシバルは、過去において宮廷風恋愛礼賛に加担していたため失格だった。ガーウェインは 他の幾つかの物語では 待望の騎士役を担っていたものの この物語では、問題外になった。ランスロットは、王妃グィネヴィアとの姦通の罪により 夢の中でしか 聖杯を見ることは出来なかった。


純潔な騎士は、ただ一人、ランスロットの生まれ変わりで しかも一点の穢れもないギャラハットだけであった。ギャラハットは その純潔さ故 キリスト教の全ての宝物を その目で見ることが出来たのであり その宝物の中には シトー修道院の一つに保管されていた アリマタヤのヨセフの盾も含まれていた。その盾には、白地に赤の十字架が描かれており これは イスラム教派アサシン派秘密結社の赤と白のエンブレムが表していた「純潔と血の色」と同じであった。この紋章は まず十字軍によって模倣され 後に薔薇十字団によって借用されていく。

聖杯は、壮麗な神殿に保管されており支配者は、女王であった。(パンス・ド・ジョワ) 吟唱詩人たちの語るところによると、女王の夫は ムーア人で女王の息子ジョンは 東方テンプル騎士団の聖杯と女性守護に身を捧げた戦士集団の創設者であった。貴婦人に助けが必要となると ギャラハット、パーシヴァル、ローエングリンら聖杯騎士たちは 聖杯のふちに浮かび上がる炎の文字で命令を受け 馬を駆って救助に向かった。


聖杯の神殿は、女王グィネヴィアが 愛人と一緒に身を隠したジョイアス・ガルドの城と同様 モンジョワ(喜びの山)と呼ばれる事があった。モンジョワは山岳聖所であると同時に比喩的には女性生殖器をを指した。モンジョワの語を持つ性的象徴性は 性を抑圧したキリスト教会に対する異端者たちの反乱を集結するため役立った。


ヨーロッパ人が、キリスト教のこの神話を耳にしたのは 12世紀以降の事だった。聖杯は、実のところキリスト教のものではなく 本来異教の産物であった。スペインにおけるムーア人の聖なる伝承を通じ 聖杯は、キリスト教に導入される。血で満たされたこの器(聖杯)は 其れと同類であるケルトの聖なる「再生のナベ」と同じように 子宮のシンボルとされ 霊魂が別の肉体に宿り再来すると言う古代のオリエントやグノーシス派において信奉された再来を意味し 聖杯には 女性的なイメージが深く込められていた。


しかし聖杯から それにまつわる女性的イメージを取り去ってしまったとき 聖杯が持つロマンチックな魅力の方も薄れていく。聖杯は、単にキリストの血を受けた杯に過ぎないならば 発見に胸が高鳴るということはなかった。結局のところ 聖杯をキリスト教に取り入れたことで 聖杯の秘められた本質に備わった魅力を消し去る事になったのである。

Hexagram(六芒星)

mminazuki2006-05-04

2つの三角形が組み合わさりできるこの周知の図形は、ダビデまたは、ソロモンの時代からユダヤ教の表象であったと考えられ 『六芒星形』をマーゲン・ダビデダビデの星 或いは、ソロモンの封印と呼ばれている。


しかし実のところ この図形は、ダビデ、ソロモン共に関係がなく ユダヤの文献で この図形にかんする言及が見られるのは 12世紀になってからである。しかも 仔の図形が、ユダヤのエンブレムに採用されたのは17世紀になってからの事であった。


六芒星の真の歴史は、ヒンドゥー教のタントラに発しており 男女両性の結合を表していた。すなわち頂点が下に向かう下向きの▽原初における女性のイメージ(ヨーニ・ヤントラ)で宇宙の生成に先立つ存在だった。やがて無限の時間が経過するうちに 女神は自の三角形のなかに「生命の火種」を宿し、そして産み落とされ成長し男性になった。 男性は、頂点が上にくる上向きの三角形であらわされ この男性は、自分の母と結合し原初の両性具者となった。この結合の印が 六芒星で「大いなるヤントラ」と呼ばれていた。


大いなるヤントラ(六芒星)を擬人化したのがビンドゥ・マティ(母)で彼女は、神話の中で聖娼と言われた。彼女の所有する魔力は、嵐を起こし 川の流れを沈めた。後に彼女の起こした奇跡が エジプト神話に登場する賢人や後世のモーセによって模倣される事になる。


このような性的意味を持つ六芒星のタントラのイメージから 中世のカバラに繋がるユダヤ人の性崇拝体系や「契約の箱」の中に、十戒の二枚の石版と一緒に二人の男女が六芒星の形で睦まじく抱擁している絵が納められているらしいとの ラビたちの伝承まで生まれた。


カバラは 十字軍によって東方の女神崇拝が知られるようになってから ムーア人占領下のスペインで ユダヤ人が発展させたものだった。カバラの信者たちは、タントラのヨーガ行者と同様 男神とシェキーナー(女性とみなされたエネルギー)との結合を六芒星で表した。シェキーナーは、シャクティ・カーリーのユダヤ版であり シャクティが ヒンドゥー教の神にとって絶対必要な霊魂であるのと同じように シェキナーは カバラの神にとって欠かす事の出来ない霊魂であったのだった。


聖婚を信奉している宗教の例にもれず ユダヤ教カバラも 「人間の夫婦は 地上にあって男神 女神を体現している存在であり 人間の性的結合は 超自然的領域における男神・女神の性的結合を促進すると考えられた。従って性交を男神とその妻 或いは 女神とその夫に奉仕する神聖な行為とみなされた。


カバラの経典「ゾーハル」では、シェキーナーは、トーラー(律法)と同一視されたが これは ちょうどその昔グノーシス派の女神が 処女相マート(律法) 或いは、真理とト同一視されたものと同じだった。神秘の知恵を獲得したいと熱望する男性は 「トーラーの花婿」になる必要があった。なぜなら トーラーは乙女の姿で顕現していたからであり しかも この乙女は、当時の吟唱詩人たちが 東方の女神崇拝に啓発され書いた恋愛物語の中の あの秘儀を授けてくれる最愛の貴婦人に似ていたのだった。


『それは、トーラーが宮殿の中の容易に人を近づけぬ一室に身を隠している一人の美しい高貴な乙女に似ているからである・・・その乙女は 一目につかぬ自室の扉を ほんの少し開いて 僅か一瞬の間だけ愛人に その顔を見せるが また直ぐに隠れてしまう。 彼だけがその顔に目をとめるが するともう ほかの事は何も考えられなくなり 全身全霊をあげて 彼女にひきつけられる。彼が彼女に近づくと 彼女は彼の理解力に合わせて語りだし やがて 極めて徐々にではあるが、彼にも秘儀がわかり始める。』


このように六芒星は 賢者とシェキーナー・トーラーとの完全な結合を表していた。また六芒星形は 魔力を持った「ソロモンの封印」と呼ばれ ソロモンと関連づけされてはいるが この見方は、聖書の「雅歌」のあの官能的な恋愛詩が暗示しているように ソロモンが秘儀を伝授されたのは 聖婚のお蔭であるとする古代の通念から生まれたものと思われる。

ソロモンの歌


どうかあの方が、その口のくちづけをもって
わたしにくちづけしてくださるように



1:6 どうぞ、そんなに見ないでください
日焼けして黒くなったわたしを。兄弟たちに叱られて
ぶどう畑の見張りをさせられたのです。自分のぶどう畑は見張りもできないで。


2:2 おとめたちの中にいるわたしの恋人は
茨の中に咲きいでたゆりの花。


2:3 若者たちの中にいるわたしの恋しい人は森の中に立つりんごの木。
わたしはその木陰を慕って座り甘い実を口にふくみました。
2:4 その人はわたしを宴の家に伴いわたしの上に愛の旗を掲げてくれました。


恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。

2:11 ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。
2:12 花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。
この里にも山鳩の声が聞こえる。
2:13 いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。

恋人よ、美しいひとよ,さあ、立って出ておいで。


3:1 夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても
求めても、見つかりません。
3:2 起き出して町をめぐり 通りや広場をめぐって 恋い慕う人を求めよう。

求めても、あの人は見つかりません。
3:3 わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。
「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」

3:4 彼らに別れるとすぐに恋い慕う人が見つかりました。
つかまえました、もう離しません。
母の家に わたしを産んだ母の部屋にお連れします。


4:1 恋人よ、あなたは美しい。
あなたは美しく、その目は鳩のようベールの奥にひそんでいる。
髪はギレアドの山を駆け下る山羊の群れ。

4:2 歯は雌羊の群れ。
毛を刈られ洗い場から上って来る雌羊の群れ。
対になってそろい、連れあいを失ったものはない。

4:3 唇は紅の糸。言葉がこぼれるときにはとりわけ愛らしい。
ベールの陰のこめかみはざくろの花。

4:4 首はみごとに積み上げられたダビデの塔。
千の盾、勇士の小盾が掛けられている。

4:5 乳房は二匹の小鹿。
ゆりに囲まれ草をはむ双子のかもしか。

4:6 夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に
ミルラの山に登ろう、乳香の丘にわたしは登ろう。

4:7 恋人よ、あなたはなにもかも美しく傷はひとつもない。


4:12 わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。
閉ざされた園、封じられた泉。

4:13 ほとりには、みごとな実を結ぶざくろの森
ナルドやコフェルの花房
4:14 ナルドやサフラン、菖蒲やシナモン 乳香の木 
ミルラやアロエ さまざまな、すばらしい香り草。

4:15 園の泉は命の水を汲むところ
レバノンの山から流れて来る水を。


7:2 気高いおとめよ
サンダルをはいたあなたの足は美しい。
ふっくらとしたももは たくみの手に磨かれた彫り物。

7:3 秘められたところは丸い杯 かぐわしい酒に満ちている。
腹はゆりに囲まれた小麦の山。
7:4 乳房は二匹の子鹿、双子のかもしか。

7:5 首は象牙の塔。
目はバト・ラビムの門の傍らにあるヘシュボンの二つの池。
鼻はレバノンの塔、ダマスコを見はるかす。

7:6 高く起こした頭はカルメルの山。
長い紫の髪、王はその房のとりこになった。

7:7 喜びに満ちた愛よ
あなたはなんと美しく楽しいおとめか。
7:8 あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実の房。
7:9 なつめやしの木に登り甘い実の房をつかんでみたい。

わたしの願いは
ぶどうの房のようなあなたの乳房
りんごの香りのようなあなたの息
7:10 うまいぶどう酒のようなあなたの口。


4:16 北風よ、目覚めよ。
南風よ、吹け。

わたしの園を吹き抜けて
香りを振りまいておくれ。

恋しい人がこの園をわがものとして
このみごとな実を食べてくださるように。


5:10 わたしの恋しい人は 赤銅色に輝き、ひときわ目立つ。
頭は金、純金で 髪はふさふさと、烏の羽のように黒い。

5:12 目は水のほとりの鳩 乳で身を洗い、形よく座っている。
5:13 頬は香り草の花床、かぐわしく茂っている。
唇はゆりの花、ミルラのしずくを滴らせる。

5:14 手はタルシシュの珠玉をはめた金の円筒
胸はサファイアをちりばめた象牙の板
5:15 脚は純金の台に据えられた大理石の柱。

姿はレバノンの山、レバノン杉のような若者。
5:16 その口は甘美、なにもかもわたしを魅惑する。

エルサレムの乙女たちよ,これがわたしの恋する人、
これがわたしの慕う人。


7:11 わたしは恋しい人のもの
あの人はわたしを求めている。

7:12 恋しい人よ、来てください。
野に出ましょう
コフェルの花房のもとで夜を過ごしましょう。

7:13 朝になったらぶどう畑に急ぎ
見ましょう、ぶどうの花は咲いたか、花盛りか
ざくろのつぼみも開いたか。

それから、あなたにわたしの愛をささげます。
8:6 わたしを刻みつけてください
あなたの心に、印章として あなたの腕に、印章として。


愛は死のように強く
熱情は陰府のように酷い。

火花を散らして燃える炎。
8:7 大水も愛を消すことはできない
洪水もそれを押し流すことはできない。

愛を支配しようと財宝などを差し出す人があれば
その人は必ずさげすまれる。



8:11 ソロモンはぶどう畑を バアル・ハモンに持っていて
ぶどうの世話を番人たちに任せました。
番人たちはそれぞれの ぶどうに代えて銀一千を納めます。

8:12 「これがわたしのぶどう畑、ソロモン様。
銀一千はあなたの取り分。銀二百は世話をした番人へ。」