首狩族の蛮行

mminazuki2005-07-19

現在のトルコ中央部の遺跡で、老若男女を問わず喉を切り裂かれ首や手足ををねじ曲げられた何体もの白骨体が見つかった。歴史書には何の記述もないこの惨劇は何なのか。考古学者はヨーロッパで悪名高い、血に飢えたケルト人の蛮行ではと考えている。しかし、遠く離れたアジアでケルト人は何をしていたのだろうか。また数百キロ南でも殺戮の現場が発見されたが、そこは土で作られた都市で死体はすべてベッドの下にあった。古代のケルト人は、その歴史や文化が書き残されないまま 敵対するローマ人などに後世に伝えられていった。それら記録にケルト人の野蛮な性質の一つに首狩の習慣が挙げられている。

古代都市チャタル・ヒュユク


紀元前7000年、コンヤ高原の川の流れに沿って都市が生み出された。まだメソポタミア文明エジプト文明も開化していなかった頃の都市で人口は、推定で6000人を超えていたといわれている。1961年この地 チャタル・ヒュユクの発掘が開始された。時間と手間をかけ遺跡を年代層ごとに一枚一枚丁寧にはがして行くと戸口や窓を持たない家屋が発見される。どうやら住民は、室内から梯子を使い屋根に取り付けられた跳ね上げ式戸口や突き出た塔屋から出入りしていたと見られる。また密接する集落の家屋同士は 屋上や屋根に梯子をかけ移動していたようである。室内では、漆喰で模った雄牛の頭部や獣の角 豊穣の女神像などが発見され 調理場も在った。(跳ね上げ式の入り口は換気口もかねていた。)考古学者の多くは この奇妙な集合住宅になぜ戸口がなかったのかを「外敵からの防御」と推測する。しかし更に奇妙な事には、家々の床下から大量の白骨が発見された事だった。この白骨死体には 頭部のないものもいくつかあり成人から幼児まで様々な骨が重なりながら次々発掘される。骨の研究家の分析よると首に切り込みを入れてから切り取られるたような痕跡が認められたと言う。また犬の骨の上に頭骨を据えたように置かれていたり下顎が無い頭骨も見つかった。



発掘が進むにつれ死体が埋められる方法が判明する。まず家屋の床に穴が掘られる。死体はその穴に入れられ漆喰で塗り固められる。新たな死体は 同様の方法で埋めた漆喰に穴をあけ古い骨を動かされ埋められている。一方住居支柱の下に埋められた頭骨だけのもの発見される。限られた時間の中で作業は着々と進む。丘の上の発掘現場では 明らかに違った方法で埋められた中年女性の骨が見つかった。この骨が床下から見つかったのは 他のものと違いは無かったが彼女は 人骨の頭部を抱いて埋められていた。その頭骨は漆喰と塗料が4層にも塗り込められ修復されたような痕跡が見られる。更にこの中年女性の地位の高さが窺える豹の骨とその爪の首飾りも出土した。



この中年女性の骨の発見で重大な事柄が判ってきた。それは この遺跡の住人が死者に対して敬意や愛情を持っていたということだ。床下に死体を埋めたのも このような習慣或いは信仰からだったのではないか?この説を証明するため 床下の数体の遺骨を鑑定する。その結果、骨や歯の特徴から骨同志の血縁関係が確認された。つまり 床下の死体は、戦利品や魔術儀式などに使用されたものではなく家族であり愛するものに敬意を表す究極の方法だった。単に床下ではなく わざわざ眠る場所の下に遺体を埋めていることから 当時 この遺跡の住人は 死後もなお先祖は、生き続けると考えたのだ。切り離された頭骨は 一旦埋められたあと掘り起こされ髪や皮膚が残る頭部を切断し手元に置かれた。その首は親から子へと代々受け継がれ一族の象徴として大切に扱われた。支柱の下で発掘された頭骨は 新しい家を建てる際 永遠に子孫の繁栄を見守るため 柱の下に埋められたものと思われる。頭部を切断された遺体は、男性だけではなく その半数は女性であった。これらのこと、また豊穣の女神像などから チャタル・ヒュユクは極めて男女平等な文化であったのだった。

古代からの葬式の方法

風葬 遺体を地面や洞窟に投げ、さらすことで獣に食べられる。
土葬 遺体を土に埋める。
鳥葬 遺体を木から下げたり専用の高い塔の上に置き鳥に食べられる
水葬 遺体を海や川に流す。
火葬 遺体を燃やす。
食葬 遺体を集団で食べる。

・昔の総墓制では、その人の地位・身分などにより違った葬り方をした。幼児の死に対しては 両極の信仰や風習が見られた。早逝したものは守り神になるようにと家の床下に埋め 一方では悪魔であるとして二度と生まれて来ないようにと呪詛し頭に釘を打ったり切り裂いたりして洞穴に捨てた。


・1989年にペルー北部山地のクントゥル・ワシというところで発掘した神殿の床下からお墓が出てきた。3基並んだ状態で一体一体が石積みされた墓の中に別々に埋葬されこの人物と神殿の関係がうかがえる。大事な祖先の遺体を神殿の本尊と考えたものと思われる。


・縄文遺跡を発掘では、既に墓地というのが発生していたことがわかる。例外的だが死産か流産かと思うような出生直後の赤ん坊の埋葬方法は、自分の住んでいる住居の床下に埋める。これは、産んだ母親がなるべく近くに葬りたいという普遍的な感情なのである。

・最古のゴシック様式、サン=ドニは、歴代王家の墓所。ヨーロッパでは、よく聖堂の床下に埋葬された。


キリスト教では、天国に入るためのひとつの条件であった埋葬地が社会的地位を示す物差しとなった。地位ある人は、石棺に入れられ教会の地下室や石の床下、壁の中に安置され名前や地位業績が石に刻まれた。


・土地の少ないハルシュタットでは、亡くなった人をいったんお墓に埋葬し、何十年か経つと、それを掘り返して骨を納骨堂に収めるという習慣が生まれた。墓の再利用である

自宅床下に死体を遺棄した事件

http://news.rkb.ne.jp/rkb_news/archives/2005_07_03.html

・1983年ロンドンのあるアパートで下水管が詰まり、トイレの水が流れなくなるという事態が発生した。アパート中に悪臭が立ちこめて、トイレが使えない。どうやら地下の排水管に何かが詰まっているのが原因のようで修理工がマンホールのフタを開け、ハシゴをつたって下へ降りていくと、中から猛烈な悪臭がこみあげてきた。詰まっていたものはドロドロに腐った肉の塊だったのだ。それは人間の手や足、骨などで直ちに警察が調査を開始した。まもなくこのアパートの住人であるデニス・ニルセンが、大量殺人および死体遺棄の疑いで逮捕され、ニルセンの5年に及ぶ狂気の犯行は、ここで世間の明るみに出ることとなった。


・1978年8月、東京都足立区立中川小学校の女性教諭=当時(29)=を殺害し、自宅の床下に埋めたと、千葉県に住む元警備員の男(68)が21日、警視庁綾瀬署に自首した。男の供述によると、1978年8月14日午後4時30分ごろ、当時警備員として勤務していた同小学校の廊下の角で、被害者の女性教諭と肩がぶつかった。大声を出されて口論となり、かっとなり犯行に及んだ。自首の理由は 被害者が夢に現れるからと告白した。

ある分譲地の怪

1990年、ある女性が家を建てるための手ごろな土地を探していた。ある日のこと不動産屋に案内された土地は、二十件ほど新築の家が立ち並ぶ予定の日当たりの良い土地だった。
道幅も広く駅からもそう遠くない立地で申し分ない物件だった。しかしその女性は、その地に漂う異様な雰囲気を感じ取った。彼女は 不動産屋をまいて その分譲地の裏手に回ってみた。するとそこには、ショベルカーで破棄された墓石や地蔵がゴロゴロと転がっているではないか。周辺の住人に聴いて回ると半世紀ほど前 その場所は 経営が破綻した寺であった事が判明した。無論彼女は この話を断った。だが・・・その分譲地には 現在20世帯の住人が 墓の跡地と知らずに棲んでいる。