古代都市チャタル・ヒュユク


紀元前7000年、コンヤ高原の川の流れに沿って都市が生み出された。まだメソポタミア文明エジプト文明も開化していなかった頃の都市で人口は、推定で6000人を超えていたといわれている。1961年この地 チャタル・ヒュユクの発掘が開始された。時間と手間をかけ遺跡を年代層ごとに一枚一枚丁寧にはがして行くと戸口や窓を持たない家屋が発見される。どうやら住民は、室内から梯子を使い屋根に取り付けられた跳ね上げ式戸口や突き出た塔屋から出入りしていたと見られる。また密接する集落の家屋同士は 屋上や屋根に梯子をかけ移動していたようである。室内では、漆喰で模った雄牛の頭部や獣の角 豊穣の女神像などが発見され 調理場も在った。(跳ね上げ式の入り口は換気口もかねていた。)考古学者の多くは この奇妙な集合住宅になぜ戸口がなかったのかを「外敵からの防御」と推測する。しかし更に奇妙な事には、家々の床下から大量の白骨が発見された事だった。この白骨死体には 頭部のないものもいくつかあり成人から幼児まで様々な骨が重なりながら次々発掘される。骨の研究家の分析よると首に切り込みを入れてから切り取られるたような痕跡が認められたと言う。また犬の骨の上に頭骨を据えたように置かれていたり下顎が無い頭骨も見つかった。



発掘が進むにつれ死体が埋められる方法が判明する。まず家屋の床に穴が掘られる。死体はその穴に入れられ漆喰で塗り固められる。新たな死体は 同様の方法で埋めた漆喰に穴をあけ古い骨を動かされ埋められている。一方住居支柱の下に埋められた頭骨だけのもの発見される。限られた時間の中で作業は着々と進む。丘の上の発掘現場では 明らかに違った方法で埋められた中年女性の骨が見つかった。この骨が床下から見つかったのは 他のものと違いは無かったが彼女は 人骨の頭部を抱いて埋められていた。その頭骨は漆喰と塗料が4層にも塗り込められ修復されたような痕跡が見られる。更にこの中年女性の地位の高さが窺える豹の骨とその爪の首飾りも出土した。



この中年女性の骨の発見で重大な事柄が判ってきた。それは この遺跡の住人が死者に対して敬意や愛情を持っていたということだ。床下に死体を埋めたのも このような習慣或いは信仰からだったのではないか?この説を証明するため 床下の数体の遺骨を鑑定する。その結果、骨や歯の特徴から骨同志の血縁関係が確認された。つまり 床下の死体は、戦利品や魔術儀式などに使用されたものではなく家族であり愛するものに敬意を表す究極の方法だった。単に床下ではなく わざわざ眠る場所の下に遺体を埋めていることから 当時 この遺跡の住人は 死後もなお先祖は、生き続けると考えたのだ。切り離された頭骨は 一旦埋められたあと掘り起こされ髪や皮膚が残る頭部を切断し手元に置かれた。その首は親から子へと代々受け継がれ一族の象徴として大切に扱われた。支柱の下で発掘された頭骨は 新しい家を建てる際 永遠に子孫の繁栄を見守るため 柱の下に埋められたものと思われる。頭部を切断された遺体は、男性だけではなく その半数は女性であった。これらのこと、また豊穣の女神像などから チャタル・ヒュユクは極めて男女平等な文化であったのだった。