ピコ・デラ・ミンドラ

mminazuki2005-10-22

ルネサンス期 知識人のあいだで復活した魔術は、中世の禍々しい魔術とは異なる学術的かつ哲学的なものに変容していった。ピコ、或いはフィチーノによって復活させられた「知的魔術」は、所謂、土俗的な民間魔術と重なるところはあっても 「ダイモンの業」と権威に基づく呪いや邪悪な魔術と、自然魔術との働き
は、「本質的に異なる二つの活動」とみなされた。
Wikipedia 【ピコ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9

実際、これより早く魔術をこのように区分したのは14世紀中期、ニコール・オレームであった。オレームは、ダイモンに頼る魔術を 一般の人には為し得ないものであるとともに魔術を行う事自体が悪魔に唆された犯罪であると述べている。しかし一方でダイモンに頼らない魔術を「自然魔術」とし中性化、容認もしている。

deamon
神と人間の仲立ちとなる精霊、超自然的で非物体的存在であり
西洋では、客観的に存在するものだと信じられて生きた。
ダイモンは友好的なもの、敵対的なものとに分けられ 
友好的なものを天使 敵対的なものを悪魔とされ
ダイモン自体は、邪や悪という意味は持たない。


■ピコは、1486年『人間の尊厳について』の中で魔術は 全自然の認識を獲得するもので自然哲学を絶対的に完成するものであると説いた。

この術は、ギリシア人がより的確に「共感」と言っている宇宙の共感を
その内部に深く入って探求し 諸々の自然の相互認識を洞察し
おのおのの事物に備わっている生来の呪力、すなわち
「魔術師たちのユンクス」と呼ばれている呪力を用いて世界の奥深くに
自然のふところ深くに つまり神の秘密の蔵に隠れている諸々の奇蹟を
あたかもみずから工匠であるかのように公衆に示すものである。
そして農夫が楡を葡萄蔓と結婚させるように 魔術師は 大地を天とすなわち「下位のものども」を「上位のものども」の諸々の賜物や力と結婚させる。

自然魔術を「神的であり健全」な術であると語る。そしてまた
「人間は 欲する事により一切を認識し万物に君臨しうる」
神にだけ許されていた奇蹟は 人間であっても行使することも可能である。つまり神と人間の関係の根本的改正である。ピコの論理は、復権した魔術を自然と人間の関係において人間中心のものとして提供したのであった。しかしピコは、何故か占星術だけは認めなかった。彼は占星術が保証する事柄は人間を自由にするどころか逆に隷属的にし また不幸に陥れるもの語っている。ピコが、人間の生まれついての「宿命」とされる予言的な占星術を毛嫌いした理由は 興味深いところであります。