恐怖という感情

mminazuki2005-10-16

ほの暗い廊下の先の教室、或いは 人通りのない暗い一本道、日常、気にも留めずに通り過ぎるはずのそんな場所で 突然恐怖心に包まれ足がすくんでしまう事はないですか?背後に得体の知れない気配、とたんに視覚と聴覚が研ぎ澄まされる。鳥肌が立つ。焦燥感がつのり、未来に起こる出来事を想像し思わず怖い!と感じる・・・。私たちは、遊園地のお化け屋敷やジェットコースターに乗ることで恐怖を味わう。肝試しと称し真夜中の墓地を歩いてみたり暗い森の中でキャンプをしたりとわざわざ恐怖を体験したがります。これらは、恐怖への対処法であり回避法を学んでいると言われていますが 「恐怖の感情」研究は、どの程度まで進んでいるのでしょうか?


実は 恐怖をいとも簡単に短時間で味わう事が出来ます。まず口を横に引きつらせて見てください。次に眉を上げ 目を思い切り見開いてください。鏡は必要ありません。如何ですか?ゾゾゾって感じがありますでしょ?其れが恐怖を体験した時に味わう感覚なのです。表情を作る事によっても 同様の嫌な気持ちを感じる事が出来る。つまり表情が感情に影響を与える場合もあるのです。似たような実験で 「人は怒鳴ってから怒りを感じる」と言った結果でも証明されていますが、思考と感情がバランスよく働けば不必要な恐怖は、回避できそうです。しかし多くの場合感情が理性に勝ってしまうのです。


目から得られた視覚情報は 大脳皮質内の視覚視野を経由し長い旅の後 大脳辺縁系にある扁桃体へ届けられます。非常時 この経路では、咄嗟の判断が下せないそうです。危険を回避する為には 決断に時間をかけられません。人は 恐怖や不安を感じると 直ちに安全な道を選択しなければならない。これが誤った判断 すなわち恐怖心を自らあおる事に繋がってしまいます。


通常 恐怖体験は記憶の奥に閉じ込められていますが ふとした瞬間、心理的打撃等によって簡単にスイッチが入ってしまいます。ベトナム戦争の時代 ある研究者が恐怖心を制御する方法を考え数人の兵士に実験を試みました。開発された薬は、前頭葉への伝達を阻害するもので 不安感の抑制、具体的には 戦争での恐怖心や心の傷を感じなくさせると言う薬でした。しかし結果は、恐怖心とともに愛や悲しみも同時に感情から消え去ってしまったのでした。薬を服用した兵士は 友人が目の前で撃たれてもなんら心に変化がもたらされない。つまり感情を持たないロボットと同じ状態になってしまったのです。


恐怖心は、遺伝子に組み込まれているものなのでしょうか?「怖がりは、育つ」 恐怖は、発達の過程で 育って行くものと考えるお医者様がいました。赤ん坊は、何も知らずに生まれてきますが彼らは、常に死と言う恐怖と背中合わせなのです。ミルクを与えられなければ餓死してしまいます。一瞬でも苦痛を感じれば恐怖の対象となり記憶に埋め込まれます。母親の姿が見えなければ 捨てられると言う恐怖が記憶され一人で居るときの恐怖感を生み出します。また風邪を引き高熱にうなされる、この時脳内では (ウイルス・病原菌)への恐怖心が育ち、同時に寄生や憑依など「怖がり」を生み出すのです。


あなたは、長い暗いトンネルを歩いて通る事になりました。暫く歩くと遠くに白い浮遊物が揺れている事に気づきます。あなたは そこで足がすくみ ある想像上のものを思い浮かべます。。。このまま進んでいけば あなたを脅かす恐怖の実態を この目で見届ける事が出来ますが、あなたは もう一歩も進めません。実態を知る事の出来ないあなたは、そこに留まる事によって長い時間 更なる恐怖に囚われることになるのです。恐怖の「核」は 自分自身の脳内にある・・・・・そうです。


先日、親戚のお宅でお風呂をすすめられ お言葉に甘えました。かなり古い家屋なので 風呂場も昭和の遺物、ガラガラと引き戸を開けると小さな六角形の白黒のタイルと古びた窓の曇りガラスが私の恐怖心をあおります。あの晩 関東は 異常に冷え込みまして仕方なく湯船に浸かっていると ポタ〜ンポタ〜ンと水が滴り落ちる音。風呂場なので当たり前なのですが、二つある蛇口を きつく閉めなおしましても まだポタ〜ン・・・・。其のうち 白くうごめくものが私の視界に飛び込んできました。僅かに顔を左に向ければ その正体をこの目で見ることが出来るはずなのですが、とてもじゃないけれど出来ません。びしょぬれのままタオルを巻いて廊下に逃げ出しました。朝になって冷静に考えた結果 水の滴る音は 先に入った誰かの使用済みタオルから滴り落ちる雫の音 白くうごめく物体は、湯気?と思いたかったのですが・・・・怖すぎ・・・・。