Lobotomy前部前頭葉切截術

mminazuki2005-08-11

第二次世界転戦後、精神分裂症の経口薬等が開発されていなかった時期、分裂症患者には 外科的手術が行われていた。この手術は、患者の興奮状態の沈静が第一の目的であった。こめかみ部分に穴を開け そこから長めのメスを挿入し前頭葉の一部を切り離すといった手術であったが、実際は、前頭葉部分をかき回し傷つけるといったような手荒い方法であった。この手術の成功率は、僅か10%。発明者は、ポルトガル人のエガス・モニス、彼は後にノーベル賞を受賞しているが、モニスの受賞には賛否両論。

後遺症としては、人格の喪失。前頭葉前半部は、思考、自発性(やる気)、感情、性格(元々の個性)、理性などを司る部分であり、この手術に拠り前述の五項目の働きが極端に衰え生活に支障をきたす患者も多かった。

    • 症例の中には 極度の凶暴性が見受けられる患者のほかに頭痛に悩む患者や12歳以下の子供までこの手術が行われたそうです。

参考資料【前頭葉と意思決定】(ご承諾戴かず掲載しております。)

脳の前頭葉白質の一部を切除する手術。神経径路を切断することにより、精神分裂症などの治療に有効とされた。ところが前頭葉はもっとも人間らしい知的活動をつかさどるといわれる部分で、ロボトミーを受けた患者には好ましくない人格水準の低下や知能の低下、ときにはけいれん発作といった合併症のあらわれることがわかってきた。薬物治療が発達した今では、人道的見地からもほとんど行われていない。


ところが、7月14日付けの医学誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」に精神病治療法として、30年前まで使われていたロボトミ−(lobotomy)を復活再考の提言が、掲載された。
日経ヘルス

アメリカ人,フィネアス・ゲージは、責任感が強い男だった。線路工事の現場で監督の仕事に従事していたが 1848年ダイナマイトの暴発で不幸にもゲージの頭蓋骨を鉄の棒がつらぬくという悲惨な事故に見舞われた。この鉄の棒はゲージの前頭葉を貫通。ゲージの怪我から一部始終を診た主治医は、身体的回復はしたものの彼の知性と衝動のバランスは大きく崩れたと語っている。
知的能力の衰え
優柔不断
束縛、忠告に対し我慢できない
計画は実行に至らず
ゲージの前頭葉を貫いた鉄の棒は 現在ハーバード大学に医学部の博物館によって保管されている。


日本で初めてロボトミーが行われたのは1942年新潟医大外科の中田瑞穂教授の行った手術で 戦後たちまちアメリカ医学の影響を受け日本でも盛んに行われるようになる。日本のロボトミーの第一人者、広瀬貞雄は、25年間で500例以上に上る手術を行った。広瀬貞夫:論文「ロボトミー後の人格像について」「研究生活の回顧」


1979年9月 桜庭章司は、主治医だった精神科医藤井澹さん宅に侵入、妻とその母を監禁し藤井さんの帰宅を待った。発端は、昭和39年3月3日、妹宅で母親をめぐり妹夫婦と争った事にあった。彼は 19歳の頃ボクシング大会で優勝したこともあり 其の腕っ節の強さと正義感が時に仇になっていた。桜庭が茶箪笥や人形ケースを壊したため妹の夫が警察に通報し、桜庭は逮捕された。妹夫婦は翌日告訴を取り下げたが、桜庭は釈放されず都立梅ヶ丘病院で精神鑑定を行う事になり 担当した鑑定医は桜庭を精神病と確定した。警察側は、釈放を求める桜庭を、強制入院させ その後昭和39年11月2日、藤井医師と家族に拠り<肝臓検査>と偽られてのロボトミー手術に至る。桜庭の脳を手術した執刀医は加藤雄司、ロボトミーの一種である脳中心部の帯回の切除を行った。退院後 桜庭は、スポーツ記者の職も失った。記事が書けなくなったからである。その後彼は奇妙な事件を起こしている。睡眠薬を買うためとされているが、横浜の金属店に強盗に入り逮捕。刑期を終えた桜庭はフィリピンに旅立ち強制退去、帰国後 藤井さん宅に押し入り妻と其の母親を殺害した。平成8年11月16日、桜庭の無期懲役が確定された。