毒薬

・砒素

窒素系元素の一つで鶏冠石・硫砒鉄鋼に含有され分離も容易であったことから砒素は 歴史上最も多く悪用された毒薬である。1676年マリー・ドブランヴィリエ公爵夫人は 情夫ゴーダンと共謀して 父親と二人の兄、夫の公爵 さらには自分の娘までも毒殺しようとした。少量ずつ盛られた砒素は 徐々に父、兄二人の身体を蝕んでいった。死亡の確認を行った医者は 食中毒と診断したが、この犯罪はあっけなく露見する。ゴーダンが実験中 誤って毒を吸い込み死んだ。用心深い公爵は、毎回グラスや食器をすすぐことで命を落とさずに済んだ。1836年 砒素完全犯罪の終焉は イギリスのジェームス・マーシュの簡易測定法によって終焉した。鳥取県の銀採掘場、石観銀山からは銀と一緒に砒素が産出された、16世紀初頭、殺鼠剤として容易に手に入った。明治五年、金貸しの小林金平は その妾原田絹と俳優嵐璃鶴に毒殺された。絹は 即刻逮捕され 浅草小塚原刑場で斬首刑となった。また江戸時代 殺鼠剤は遊郭における遊女の堕胎薬として用いられた。客の子を身ごもってしまうと妊娠期間は仕事にならないと遊郭の経営者は遊女に投与しおなかの中に胎児を死に至らしめた。


・人間毒女爆弾
幼い頃から微量の毒を飲まされ続け ついにその身体そのものが毒化してしまう美女。彼女たちは 生まれた時から政争の道具として育てられ一生を終える。紀元前323年のアレキサンダー大王の謎の死は マラリア説、潰瘍説と並ぶ毒殺説があげられている。サー・トーマス・ブラウン「迷信論」には、「あるインドの王様がアコニットで育てた美女をアレキサンダー大王に贈りその美女と対話や接合で暗殺を企てた。」と書かれている。この裏付けは、アレキサンダーの家庭教師だったアリストテレスが書き残した 「アリストテレスの養生訓」に納められた手紙の一通に「インドの王が贈った希代の美女は 毒草で養われた毒女で毒蛇の性質を帯びているので警戒するように」との忠告がある。ナサニエルホーソンの短編集は 毒女が登場する。小説「ラパチーニの娘」 イタリアの医学者は 毒の研究のため数々の毒草を庭で育てていた。その娘ベアトリチェは 美しい女性になりある医学生と恋に落ちる。しかし医学生は 幾度となく不思議な光景を目にする。彼女に歩み寄るトカゲが死んでしまったり 贈った花が僅かな時間で枯れてしまうといったお話。サー・トーマス・ブラウンの「迷信論」からヒントを得たといわれている。


・エリートの毒
古代ギリシアにおいての死刑は 拷問によるものだったが エリートだけに与えられる特権的な死刑方法があった。それは毒ニンジンの服用による死である。毒ニンジンは意識を保ったまま 身体だけが硬直し動かなくなるといった恐怖と屈辱に満ちた死に方であった。ソクラテスは、市民の誤解から反感を抱かれ さらには 政治的発言から青年たちを堕落させたとの罪で死刑となった。友人は逃亡を勧めたが ソクラテスは「悪法も法なり」と あっさり死刑を受け入れ 毒ニンジンを飲んだのである。また同じギリシアの政治家デモステネスは、反マケドニア派の中心人物だったが アテネへの攻撃が始まると部下と逃走。その後マケドニア将軍アンティパトロスに捕捉、毒ニンジンを呷って自殺した。彼のエリート意識が 自殺の道具として毒ニンジンを選ばせたのだった。毒ニンジンは死と魔術の女神ヘカテに捧げる毒草で死後の世界においても不死への扉を開く」と考えられていた。


・生物毒

  • ふぐ=卵巣、肝臓にテトロドトキシン毒素を持ち、3〜6時間で嘔吐 頭痛 筋肉痛 痺れが始まりやがて知覚麻痺 言語障害 呼吸困難の末死亡。
  • 蛇=マムシ・ハブは かまれると 筋肉や血管の壊死を引き起こす出欠毒である。皮下出血 激痛 嘔吐。台湾のコブラには 百歩蛇という、その名の通り百歩歩かないうちに死亡するという恐ろしい蛇が生息する。
  • 蜂=スズメバチに刺されると アナフィラーキシー・ショックを引き起こし死亡する。この症状は 体内に毒が投与されlge抗体が作られて再度毒を受けると抗体のヒスタミン過剰分泌でショック症状となる。
  • 蜘蛛=タランチュラは有名だが 毒性はせいぜい周辺が腫上り熱を持つ程度。日本のセアカゴケクモ アメリカのクロゴケグモは 実際に致死力を持つ。かまれるとリンパ節が腫れだし腹筋が硬直 激痛 大量発汗 涎 血圧の上昇 呼吸困難 発症3日以内で死亡。
  • さそり=セロトニン・プチペドを主成分とした神経性毒は電撃のような痛みに続き悪寒 嘔吐 筋肉麻痺が起こる。子犬程度なら刺されて数分で死んでしまう。
  • 毒鳥モリモズ=1992年ニューギニアの森林のモリモズはステロイドアルカロイドの神経毒であるホモバトラコトキシンを全身に含有されていることが判明した。この鳥の毒は体内分泌ではなく餌としての昆虫の毒の蓄積によってではないかと言われている。適切な治療を行わないと心停止。


・青酸
青酸ソーダ、青酸カリによる被害者の口からは アーモンド臭が漂う。これは青酸ガスのにおいで 青酸が胃酸とによって化学反応を起こし発生するガスである。昭和23年一月午後三時の東京豊島区の帝国銀行に東京都防疫課厚生省技官の医学博士 山口二郎と名乗る男が現れた。「近隣で赤痢が発生、予防薬を直ちに飲んでください。」行員が飲んだ薬は青酸カリだった。自称山口は 苦しみながら死んでゆく行員を尻目に現金16万4450円と小切手を奪い逃走した。この事件で逮捕されたのは画家の平沢貞道であったが 彼は冤罪であるとする説が有力である。なぜなら青酸カリの致死量に加え5分以上効き目を遅らせるように調合されてあったことは、当時専門家でも困難とされていたからだ。


・水銀
常温で液体になる唯一の金属。西洋では 錬金術の要となる物質で 強い毒性を持つ金属として知られていた。昭和31年公式発表された「水俣病」の原因となったのは工業排水に汚染された魚介類であった。化学薬品、製品に使用されるアセトアルデヒドの製造過程で生じた排水は近隣の海へ放出され魚介類の体内に微量ずつ蓄積され有毒化した。また水銀には、防腐 殺菌などの木材の防腐剤や穀物の殺菌消毒に使用されていた時期があった。水銀には 金属水銀と無機水銀 有機化したメチル水銀などがあり金属水銀は尿細管細胞を破壊し神経過敏症を発症させる。無機水銀は 腎臓に対して強い毒性を持ち急性カタル胃炎などを引き起こす。最も毒性ものは有機水銀で 組織タンパクと結合し毒性は 血液脳関門を通過してしまう。これにより小脳運動失調を引き起こしひきつけを起こしたり手足が麻痺したように動かなくなる。水銀毒の症状は 治りにくい口内炎 下痢 肺炎 歯茎からの出血 発熱 慢性的中毒になると 貧血 肝機能障害 腎臓障害 白血球の減少 リンパ腺の肥大などがあげらている。昭和33年以前 赤線と呼ばれる売春街があった。その時代は皮膚寄生虫や性病が日常茶飯事であり中でも血液を栄養分として繁殖し毛根に寄生するシラミの一種は、感染すると気が狂ってしまいそうなほどの激しい痒みを伴う。水銀軟膏は 赤線で商売をする女性と 赤線通いの男たちに飛ぶように売れた。現在でもこの軟膏が僅かながらも売れ続けている。


・毒ガス

  • 1915年ドイツ軍は カルキ臭の黄緑色の気体を西部戦線で放出した。 その気体を吸い込んだフランス・カナダ連合軍兵士は 咳 鼻汁 涙が止まらなくなり 中には呼吸困難で苦悶の内に死亡したものもいた。この気体こそが世界初の毒ガス兵器 塩素ガスであった。「イーブルの暗黒日」には、この塩素ガスによって5000人もの兵士が命を落とした。塩素は食塩水を電気分解するだけで製造することが可能だったためドイツで豊富に産出される岩塩が使われたが、塩素ガスは空気の2.5倍のの比重があり拡散しにくいことと水で簡単に無毒化されることで雨天時には効果がなかった。
  • 「イーブルの暗黒日」から二年後 ドイツ軍は、マスタードガスの毒ガス爆弾が投下した。揮発性がないこの毒ガスは 空気中に微量混在していても目が侵され失明の恐れがある。接触すると数時間後には 赤く腫上がり火傷状に皮膚がただれてゆく。吸い込むと気管支喘息肺気腫を引き起こし虚脱感と精神変調などが見られた。さらには発がん性でもあった。
  • 1995年3月「地下鉄サリン事件」は起こった。サリン有機リン酸系の毒物で殺虫剤を製造する過程で発見された。ナチスドイツは、ヒトラーの指示によりに毒ガス兵器サリンをつくり上げた。無色無臭のサリンは目の痛み 痙攣 失禁ののち死に至る。サリンは、水溶性であるため雨天や大量の水でその毒性は弱められる。