エゾテリスム(秘儀伝授)前書き

mminazuki2005-06-04

美女と野獣 

昔々とある森のお城にたいそう我儘で偏屈で臍曲りの王子様が住んでいました。その晩は 北風がピューピューと吹き荒れ おまけに夕刻から降り出した雨は 段々と雨あしが強くなる一方。森の動物たちは、先ほど一斉に向こうの丘に避難していきました。王子が眠れずに暖炉に薪をくべていると土砂降りの雨の音に混じってドアをノックする音が聞こえてきます。面倒くさがりながらも ドアを開けた王子は ぎょっとしました。そこには貧相な汚い老婆が立っていたからです。老婆は、今晩一晩で良いから泊めてて欲しいと懇願しますが、王子は 老婆にこう言います。「アーハイハイ 帰った帰った。家は、あんたなんぞ泊めるところはないよ。他あったって。」王子がそう言ったとたん老婆は フワリと宙に浮き恐ろしい魔女の姿に変わりました。「オマエのような我侭で偏屈で臍曲がりなヤツは、醜い獣になってしまえ。」 


このお話には まだまだ続きがあり醜い野獣に成り果てた王子は 魔女の筋書き通り 森にお父様を助けに来たベルという美しい女の子に恋をし苦しみや切なさの辛い日々を送るという途中経過を経て愛する事 慈しむ事を知りようやく改心し元の青年の姿に戻りハッピーエンド。


人生は 常に試されているのかもしれません。
閑話休題
神話や物語中で、主人公に与えられる試練は、極めて過酷でなければいけない場合が多く 先のローゼン・クロイツのように道に迷うことなく結婚式の会場へと到達できる例は稀であり幸運であったと言える。秘儀を授かるものは 限られた人々の中から選ばれ 更に選抜される過程において険しい山道を辿ったり 或いは地獄へ落ちたりと冒険を繰り返しながら知らず知らずの内に秘儀を伝授されてゆく。次に出るサイコロの目は、既に決定されており実に巧みに罠や試練が仕込まれている。日本の昔話の一寸法師は、生まれながらにして他の若者とは明らかに違う低身長にも拘らず数々の試練を乗り切り最後に最大級の宝を手にする。美女と野獣の王子や一寸法師 或いは、オーディーンの失明などに見る体の一部分のコンプレックスの克服に潜ませる試練の方法。デュオニュソスのように一旦殺され切り刻まれたのち美しく再生される潜在的な死から始まるものもある。モーセは、母親に川に流された時点で死んだも同然であったのだ。 


しかしその多くの主人公達は、森や山中、激流の川や航海で決して孤立無援ではない。桃太郎のように動物に団子を分け与えることにより 自分自身の能力以外のものを授かり後々役立てる。ピノッキオのように鯨の腹の中でゼッペトと再会できたり モーセのように力のある人物の後ろ盾や精霊の守護、また仙女によって一部始終見守られている。超自然な力が活力の泉へと導き 拾った帽子は敵の目をくらます道具に変わり 小鳥のさえずりを理解すると謎が解ける仕組みにもなっている。


これら一連の民話や神話 昔話の伝承は 過去に隠された宗教的教義の一部分が見え隠れする。つまり寓話や神話の下に覆い隠した古代の叡智の真意を理解させぬよう表現する方法が取られた。その理由は 門外不出の教理の伝授が限られた者にだけ与えられるものであることに他ならないからである。しかしながら ある時は没落し それでも あらゆる障害を切りぬけ歩み続ける主人公の行動は 簡明であり、これらの神話や寓話に隠された象徴的意味を認めることが人間普遍の課題なのかもしれない。民話に込められた旅の到達場所で得られることは、「取り戻すべき伝統」や「原初の状態」そして大きな意味での「永遠」も含まれているのではないだろうか?もしも今この時 貴方が秘儀伝授の旅に出るのであれば 最も重要視される事柄として 今身辺で起こっている事が神から与えられた試練か悪魔の誘いかをを見極める力を養うことからはじまる。