薔薇十字団

ローゼンクロイツは3年間をダムカルで研究生活に費やし
賢者から 薔薇十字団の中核的聖典『Mの書』を授かる。
その後エジプトに移り動植物学 薬学を取得すると 次は
ロッコへ赴き神秘学の真髄魔術と精霊との交信法を学ぶ。
自然界における「土」「水」の精霊との交信は彼にとって有益であった。
こうしてアトランティス以来の秘教・魔術的叡智を学び
霊眼したクロイツはスペインへで理想郷と世界改革を訴えるも 
軽蔑の言葉と嘲笑により彼は 失意の内に故郷ドイツに戻り 
僧院を建て瞑想の日々を送る事となった。


それから数年 ローゼンクロイツに幼少時代すごした修道院出身者の
三人の賛同者が現れた。薔薇十字団創設であった。
彼らは『Mの書』を写本したり 病人を治療したり ローゼンクロイツ
口述する事を筆記したりと 多忙な日々を送ったが これらの活動に
限界が生じ「精霊の家」を建設すると ローゼンクロイツの従兄弟Bと
画家G・G 作家P・D 同じく作家I・Aの同士を迎え6条の規約を作る。


・6条の規約

  1. 自ら進んで無報酬で病人を治す事を名誉と考え何事も公言しない。
  2. 特別な習慣を身に付けたり特別な衣服を着ず滞在中は国々の慣習風習に従う。
  3. 団員は毎年一回 特定の日に「精霊の家」に集まる。欠席の場合は書簡を持って報告する事。
  4. 死に際しては必ず 一人後継者を決めること。
  5. R・Cと云う文字を団員の唯一の印 記号 暗号 とすること。
  6. 結成から100年間は 秘密を守り団の存在を 世界から隠しておくこと。


メンバーは善行を施すとともに 密かに教義を伝えていった。
こうしたメンバーの活動は地味ながら当時の文化に影響を与え
文学 芸術作品にまでに及び1484年 ローゼンクロイツは 
『120年後に もう一度蘇る。」と言い残し 106歳でこの世を去った。
彼の当時の7名の弟子たちは 後を追うように亡くなった。
それから120年後
1604年、ローゼンクロイツの予言は見事成就する。
孫弟子たちが継承した薔薇十字団のメンバーの一人が
ある日 「精霊の家」の改築を思いつく。
彼が改築のため各部屋を回っていると突然壁が崩れ落ちる。
と、そこに 頑丈な扉が現れたのだった。
扉には ラテン語でこう書かれてあった。
"Post CXX ANNOS PATEBO"余は120年後に現れる。


扉はその奥の埋葬の間に繋がっていた。
高さ2.4m 幅1.5mの7つの壁に囲まれた7角形の室内には
神秘的な人工の光が降り注ぎ明るく照らす。
中央の円形の祭壇には真鍮製の棺があり その蓋を開けると
120年もの歳月が流れたとは思えぬほど生前と同様の姿で
ローゼンクロイツの遺体は羊皮紙の聖典を手にし横たわっていた。

しかし弟子が驚いたのは これだけではなかった。
秘密の叡智を記した書物
伝説化した秘薬
卑金属を貴金属に変える錬金術の賢者の石
音声を発する蓄音機
自動人形(ロボット)
これらの副葬品が 一緒に埋葬されていたのだ。
しかし埋葬室の扉は再び厳重に閉じられ封印された。
17世紀 前半 ヨーロッパに大旋風を巻き起こした薔薇十字団は
1648年頃 忽然と姿を消してしまう。
人智学の創始者 ルドルフ・シュタイナーに拠れば
サン・ジェルマン伯爵として転生したと言う。
また一説によるとチベットの山中に本拠地を移したとも云われている。

薔薇十字団は、現在も存在するのだろうか?
ある日突然 一通の手紙が届く。
○月○日 ○時○分 ○○までおいで願いたい
差出人の住所はなく "R・C"とだけ記されているそうだ。
メンバーとして選ばれたものだけに届く一通の手紙・・・・・。
さて 着たらどうしましょ♪

薔薇十字団起源
・アダム
古代エジプト
・エレウシスの秘儀
ピュタゴラス
・インド思想
グノーシス
・アラビアとサービア教徒の影響
先駆者
・ダンテ
・ヒエロニムス・ポッス
・コウネリアス・アグリッパ
パラケルスス
・ハイリンヒ・クンラート
・グトマン・シュペルパー・シュトゥディオン



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  1. イントロダクション
  2. 相対性理論 誕生前夜
  3. 入門 特殊相対性理論
  4. 入門 一般相対性理論
  5. エピローグ