ヒトラー親衛隊 ”ハインリヒ ヒムラー”最終章

ヒトラー親衛隊 "ハインリヒ ヒムラー"最終章

ヒムラーは、長年胃痙攣に悩まされていた。
時は 1938年に遡る。
ヒムラーは、オカルティストでマッサージ師のケルスティンと出会う。


ケルスティンは フィンランドのマッサージ師だったが
その大半をオランダで過ごす。
神経中枢の触診技術およびマッサージを学ぶが
その後 コーと云う触診技術を持つ中国人に出会う。
コーは チベットの白魔術のグループと関わりケルスティンに
瞑想技法と触診技術を伝授する。
ケルスティンの触診技術の評判があがりヒムラーの目に留まる。
彼の治療方法は 手をかざしただけでヒムラーの胃の痛みを取り除き
また急性の神経障害が見られることも言い当てた。
ヒムラーは 彼に自分の専属の医師になってくれるよう懇願し承諾を得た。


1941年ヒトラーは「最終解決」の実行をヒムラーに命じた。
ヒムラーは ケルスティンに困惑気味にこう言う。
「私は ユダヤ人を殺したくなかった。私には 全く別のアイディアがあった。」
ヒムラーは ユダヤ人に資産を持たせ国外追放の処分にしたかった。


ケルスティンは ヒムラーのそのような気持ちに驚き
ヒムラーお抱え占星術師のウルフとユダヤ人抹殺プログラムの妨害を計画する。
毒物研究とサンスクリット語に長けていたウルフは、ヒトラー暗殺計画を予言し
1945年5月7日の「不思議な死」についても言い当てていた人物である。
彼は ヒトラーのロシア侵略の敗戦を知っていた。


ウルフとケルスティンは、お互い警戒しあっていたようだったが次第に
信頼しあうようになる。
ある日ウルフはヒトラーホロスコープをケルスティンに示しこう言う。
ヒトラーは、ナポレオン同様 土星が悪影響を与えている、同じ運命をたどるだろう」
ケルスティンは ウルフの占星術の腕前と政治的勇気に感銘を受ける。

ケルスティンとウルフは その後2年間に渡り ヒトラー排除をヒムラー
説得し続けるが自分の指導者を裏切る事が出来ないでいた。
しかし心のうちでは、二人の分析の結果に異論はなっかったはずだ。


1944年7月22日 ヒトラーの爆殺計画が失敗に終わった。
ヒムラーは"SS"長官として事前に察知できなかった事を
叱責され信頼を失った。
ケルスティンは ヒムラーに云う。
今このとき ヒトラーを倒し連合国との講和するように。
単独講和に西側が同意するには ユダヤ人虐殺を中止するほかはない。


このケルスティンの強い勧めで1944年10月
ヒムラーは ナチスユダヤ人迫害および虐殺計画の中止のプランをスイス連邦大統領と
と話し合い ドイツの手にあるユダヤ人を安全にスイスに移す事に同意する。
強制収容所の囚人の虐殺行為の中止命令をだし食料と医療ケア与え
一部の捕虜の解放に成功する。しかし実際ヒムラーは 
自分の取った行動に不安だった。


翌年明けて1945年1月
ウルフに再度ホロスコープを作成するように頼むが 
「大事なのは この狂気の戦争を終わりにすることだ」とウルフは断る。
まだV2ロケットが戦争の行方を変えるはずだと信じるヒムラーとウルフは
ケルスティンの努力も関わらず3人の会談は物別れに終わる。
それでも ケルスティンはユダヤシオニスト代表とシュテンベルクを
加えた会談を設けて開放する捕虜リストの検討を行った。
このときシュテンベルクは思った。
ヒムラーは 自分の地位の保証がなければ捕虜開放に同意しないだろうと。


揺れるままシオニストの全ての要求をのんだヒムラー
アイゼンハワーと会談の打診を求める。
一方西側陣営は ヒムラーの単独講和の提案を受け入れない。
さらには、アイゼンハワーとの会談も 棚上げとなった。
ウルフは 「貴方の最善策は 身を隠して農場労働者に変装することだ。」
ヒムラーに伝え逃亡した。


激動の8日間の後 憲兵に変装したヒムラーは イギリスの偵察部隊に
捕らえられる。そして 本来の自分の身分を明かした後 服毒自殺をした。
ヒムラーの死はヒトラーの黒魔術が ケルスティンの白魔術によって
打ち消された瞬間だった。こうして ヒムラーの短い生涯に幕がおりた。
しかし数百万人の命は 二度とかえらない。


ヒトラーは 悪魔に魂を売り 血の生贄を捧げるべく狂ったように
収容所捕虜全員を殺害。ベルリンの地下街を水攻めにした。
最期の数日間 ヒトラーはまるで自分の寺院の崩壊を楽しみ
古代の英雄のように人身御供とともに葬られる事を望んでいた。
4月30日 二日前に結婚した愛人エバ・ブラウンとともに
ベルリンの地下壕で エバは服毒 ヒトラーはピストル自殺をする。
この日は 「ワルプルギスの夜」の祭りで悪魔暦において大切な日だった。


その後ケルスティンは 戦争犯罪者の共謀容疑で逮捕されるも
無実が証明され釈放された。

闇が太陽を覆い隠しても 光は闇よりも強く常に闇に打ち勝つものだ。
マイケル・フィッツ・ジェラルド

黒魔術の帝国

黒魔術の帝国―第二次世界大戦はオカルト戦争だった

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戦争とオカルトの歴史
戦争とオカルトの歴史

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おまけ

*オカルティストたちの聖地 チベット

19世紀後半から チベットは多くの西洋人にとって神秘と魔術の国であり
ブラヴァツキー婦人とその「神智学協会」の影響力は多大だった。
チベットには [4つのオカルトグループ]が存在しチベットの賢者たちは
伝説の理想郷を「シャンバラー」と名づけた。
シャンバラーはインドのタントラ派と深く繋がり魔術の性的な役割を
強調するとともに「左道派」の異称をもつ。
伝説によれば山中に隠された都で大きな湖に遮られた狭い洞窟の
入り口より入る。
都の中央には 大きな塔が立ちシャンバラー宮殿があり 
都は地下の洞窟とトンネルでの広大なネットワークで繋がれている。

イエローキャップ=ダライ・ラマ 正統派仏教徒
使徒継承=霊知をもつ導師(グル)の歴史的信仰
−−神の代わりに「根源の人」を信じ大自然の女性原理を「叡智」とした。不滅より生まれ変わりを信じる。
ブラックキャップ=非仏教徒チベット人の修道士団
レッドキャップ=魔術師 オカルティストの集団