ヒトラー親衛隊 ”ハインリヒ ヒムラー”其の弐

ヒトラー親衛隊 "ハインリヒ ヒムラー"其の弐

"SS"は 小さな親衛隊から3万の新鋭部隊へと短期間で変身した。
ヒトラーは ヒムラーを信頼したわけではなかったが能力を再評価した。
1933年ヒトラーが実質の政権を握りSAと取引をする際、ヒトラー
不本意ながらヒムラーと"SS"を頼る事となった。
其の年の後半 ヒムラーはゲシュダボ指揮官に就任してしまう。
ヒムラーは ドイツ有数の有力者の座を得ると同時に
人間性の欠如と歪んだ精神を顕わにする。
SA大虐殺(長いナイフの夜)ムヒラーは自ら銃殺執行部隊を監督し
今の地位を築けた恩人である元上司のシュトレサーも殺害した。


ヒムラーには 感情と云うものがなかった。表現できなかったのとは違う。
少年の頃から受身で個性に欠ける彼の生活を誰も想像できない。
ヒムラーは電流が外から補給される電線のようだと言われた。
電流は ヒトラーであり 本人はどんな電流も出す事は出来ない、
いわばヒトラーのロボットであり そのヒトラーでさえ凌ぐほどの
非人間的な面を持つと多くの人物が証言している。
ヒムラーは魂をヒトラーに いや・・・悪魔に売ってしまったのだろうか?


こうして 元上司や仲間を冷酷に抹殺したのち ドイツの強制収容所
責任者となった彼は 収容所の数百万もの人々を拷問し殺害した。
地位と権力を握ったヒムラーは、古い中世の要塞跡地に自分の
華麗なる城を建てた。ヒトラー同様少年の頃から「運命の槍」に
取憑かれていた彼は城の内装に
運命の槍」の歴史にまつわる主人公の生涯を表現するように命じた。
またハインリヒ一世の生まれ変わりと信じていた彼はこの城に滞在中は
運命の槍」の複製が飾られた「ハインリヒ一世の間」を専有した。
この城は「ブラック・キャメロット」と呼ばれ 彼自身が主催する悪魔集会はが
秘伝者13名で取り行われた。それは 正しく悪魔崇拝の黒ミサであった。


13名は黒い衣装に身を包む。
指には 魔方陣の刻まれた署名入りの銀の指輪がはめられ
それぞれは短剣を携え盾の形の紋章を手に持ち円卓の所定の位置に座る。
騎士団長ヒムラーは 呪文を唱え儀式を開始する。
「人種霊」(アーリア人)とのコンタクトおよび悪魔を呼び出すこともあったという。


また この城の地下室には「死者の国」と銘打った"SS"の聖堂が設けられ
12の台座が置かれていた。もしも中枢13名の内 死亡者がでたら
その紋章が焼かれ台座の上の壺に収められた。
かくしてヒムラーは ヒトラーの護衛から国家社会主義の目的に献身的に
奉仕する魔術結社を創り上げてゆくのだった。


"SS"のライバルかつてのSA組織のカール・エルストンはムヒラーを
馬鹿にし 皮肉を込めて「黒いイエズス会士」と呼んだ。
イエズス会教皇のみの忠誠を誓ったように"SS"はヒトラーにだけ責任を負う。
そしてヒムラーの計画には イエズス会が国家を樹立したように
ドイツ勝戦後 ブルグンド(ブルゴーニュ)古代王国の復活が含まれていたのだった。


ブルグンドは独自の軍隊 警察 政府 およびベルリン大使館を抱え
SS独立国のモデルとなるはずだった。
イエズス会創立者 聖イグナティウス・ロヨラは総会長一人と執行官4名を
通じ命令を実行に移す。ヒムラーにも4名の補佐する局長が存在した。
ヒトラーでさえヒムラーを「わがロヨラ」と呼んだ。
そしてイエズス会同様にSSは「視覚表象化」と呼ばれる魔術技法を用いた。


ヒムラーのエリート意識は更に一段と高くなる。
このときムヒラーはSSを帝国親衛隊から騎士団へと変身させようと試みる。
SSのメンバーは祖先にユダヤ人のない家系図を提出させられた。
またヒムラーの考案した魔術儀式の定期的な参加。
そして雷神トールを祭る儀式に参加する事を要求している。
夏至をXmasに変わる最高の日と定め SSメンバーの冠婚葬祭は
SSの地域司令官が執行した。
また ヒムラーは 一夫多妻主義を強く主張し勝戦後は、これを
導入するつもりでもいたのだ。
理由は ドイツの英雄の人種的純血の子孫を多く残すためであった。


そんな折 ヒムラーは、オーストリアの解剖学者ガル(17世紀)の「骨相学」に
関心を抱く。骨相学とは 簡単に言うと人間の能力の発達は、それを
司る脳の発達につながり頭部33に区分された部分の隆起 或いは凹みは
脳内の同様の膨らみと凹みに対応する。
この研究はガルの弟子によって科学的に尊重され人の頭部の形の読み取りは 
犯罪を未然に防ぎ腐敗政治の予防に繋がる事を信じ骨相学協会なるものが
誕生する。この実験でヴィクトリア女王の子供たちの頭の形をも
調べた骨相学教会は 一時 本物であると認められたが
反対陣営が実証テストを行うと頭部隆起は能力と無関係との見解を発表。
すると骨相学は 代用医療に用いられ骨相磁気学と名前を変えオカルティスト達の間では
もっぱら「性格の読み取り」に使われオカルトの色彩を帯びたものになった。


ヒムラーは 科学から秘学となった骨相学に更に関心を示しSSメンバーに 
骨相学を学ばせ ナチズムの人種主義(アーリア人)は更に他民族に対する
生来の優越性を証明することとなる。
当時の秘密結社「アルマーネン」のオカルティストであるフォン・リストは 
アーリア的観点から骨相学を研究し分派「ゲルマン結社」を設立。
ゲルマン結社では、淳製のアーリア人を基準とした骨相学的分析がなされ
SSのメンバーにこれらの研究が伝えられる。
骨相学によって能力の特定 人種 相対的知恵が判断され
北方系の人種の脳は 常に優れた結果をだすと人種主義は更に高まり
多くの犠牲者を生むこととなっていく。

1941年 不吉な計画が動き始める

つづく