三本の樹

天使ミカエルは セトを楽園に誘う。そこでセトが観たものは、樹皮の剥がれ落ちた一本の樹木。 それから恐ろしい蛇が絡みついた樹の根に身体を刺しぬかれた兄のカインのもがき苦しむ姿。そして最後に梢が天にまで達し根は地獄の底にまで広がっている大木をみた。目をこらし良く覗きこむと枝の間には光り輝く少年が美しい女性のひざの上に座っていた。ミカエルは、こうセトに教える。あの少年は、人間を罪から解放することになる「来るべき贖い主」なのだ。次にミカエルは、その樹木から採れた3粒の種をセトに手渡し三日後に死ぬアダムの舌の裏に三粒の種を差し入れるよう命じた。


息子セトが戻ってくると彼は ミカエルの命通りに3粒の種をアダムの舌の裏に入れる。このときアダムは 楽園を追われたあの日以来初めて笑った。さてアダムは軌跡の油を得ることが出来ずヘブロンの谷に埋葬された。暫くするとアダムの遺体から レバノンスギ イトスギ そしてナツメヤシの三本の木が生えだした。時は経ちモーセが約束の地ヘブロンの谷に辿り着くと 楽園の芳香を漂わせる3本の木を見つけた。まだ成長はしておらず1クデほどの太さであった。モーセは その枝の一本を折り杖にした。杖は 紅海の水を分け通り岩から水を湧き出させた。モーセは死ぬ直前、この不思議な樹たちをそっとタボル山に移植した。


それから1000年後 ダビデ王のもとに天使が現れ 彼にその不思議な樹を探しだしエルサレムへと運んでくるようにと命じる。ダビデ王はその地で樹を見つけ出すがその晩は雨水溜めに入れて保管した。あくる朝ダビデは、その樹をみて驚いた。それは互いに絡まりあい一本の樹になっていたからだった。ダビデがその樹をエルサレムに運ばずそのままにしておくと それは見る見るうちに成長を遂げた。不思議なことにその樹木に触れたもの、さらには癪や中風、目や耳の不自由な人までも癒された。ダビデはこの樹木を大いに称え 毎年銀の輪を飾り その根本で祈りを捧げた。


ダビデの息子ソロモンが、ある日神殿を建てようとこの樹木を切り倒し支柱にしようとしたが常にその木材は 長さを変える。あるときは短くなり あるときは長くなるので壁を高くしたり低くしたりしているうちに 神殿の屋根を突き破った。それを観ていたある女が「主は聖なる十字架の功徳を告げている」と預言めいたことを言った。彼女は 「ユダヤ人」によって石打の刑に処せられ死んだ。


木材として使い物にならないその樹は浄めの池に投げ込まれたが ユダヤ人はその樹木で橋を作った。多くの人々がその橋を渡る際 樹木は踏みつけにされていた。ある年、シバの女王がソロモンを訪問することになった。女王は その橋に足をかけるやいなや身を翻し 足を水に浸らせながら浅瀬を渡る。ソロモンがシバの女王にその理由を問いただすと あの木材は いつか人々を救う贖い主のための十字架になるだろうと明かしたのだった。


そして磔刑のときがきた。あらかじめ予定されていたこの木材は刑罰の道具にうってつけだった。十字架はゴルゴダの丘に立てられアダムが死んだその日のその時刻にキリストは昇天した。ユダヤ教暦正月14番目の日、第九の時間(午後三時)。ゴルゴダの丘は世界の臍となった。そしてエデンの樹は 生命の木としてその丘に移植されたのである。古代の教父から近代の神秘家に至るまで生命の木と十字架は同一視されてきた。例えばスペインによって征服される以前のメキシコでは、十字架と宇宙樹(生命の木)の同一視の見られる図像からも見出せる。


おまけ
皇帝コンスタンチヌスは、ある日黄金に光り輝く十字架を空に見つける。十字架には「汝、この印により勝利を得る」と記されてあった。コンスタンチヌスは戦に勝利すると直ちに改宗し母へレナをエルサレムに向かわせる。母へレナは、エルサレム中で 聖なる十字架を探し回り ユダヤの全ての学者を呼び集め、それぞれに十字架のありかを聞き出す。その中で一人 ユダと云う学者が自分の祖父の死に際の遺言として父に告げた話を思い出したように語り始めた。「息子よ・・もしオマエがイエスの十字架の樹が何処にあるか尋ねられたら それが何処にあるのか 教えるのを躊躇ってはいけない。口を閉ざしたら オマエは酷い拷問の末 死ぬことになるだろう。ともかくその時はユダヤ人王国の終わりの時であり代わって十字架を崇める次代の人々の手によって世を治めることになるだろう。」そんな話は聴いたこともないといった学者たちをヘレナは火刑にし ユダ本人も十字架の行方を知らないと主張した罪で水のかれた井戸に突き落とした。7日間の飢えと乾きにユダはヘレナに十字架の行方を教えるのでここから出して欲しいと懇願した。ヘレナを案内しているとと妙なる芳香が辺りから漂い始めた。当時ゴルゴダの丘には ハドリアヌス帝の神殿があったが ヘレナはあっという間に神殿を取り払い地面を掘らせてみる。するとそこに3つの十字架を発見した。しかし どれがキリストの十字架だか判別がつかない。そこでユダは葬儀の列をみつけるやいなや棺の上に次々と三つの十字架を乗せてみる。三本目の十字架をのせたその瞬間 棺の蓋がそっと開き棺の中の若者が目を見開いた。ヘレナは十字架の一片を持ち帰りコンスタンチヌスは ゴルゴダの丘に聖墓大教会堂を建設した。ユダはその後受洗し エルサレムの司教となった。