失楽園

エデンには 二本の樹木があった。一方は 神に許可された「実」をつける木であり もう片方は 禁断の実をつける木であった。聖書では この樹木の種類については書かれていない。我々が知るところでは 禁断の実を食べたアダムとエバがイチジクの葉で身体の一部を隠すようになった事とキリスト教芸術で描かれる楽園の樹木が 林檎のように赤い実をつけていることだ。赤い実 すなわち誘惑の樹木は、林檎の木で表された。林檎の樹木自体は純朴だが果実の象徴的意味は 知恵と不死性と欲望である。林檎の実は生命を与え同時に死も与えることが出来る。そして欲望は再生と生殖本能に他ならない。また知恵は 秘儀であり苦行の末、英雄だけに与えられるものなのである。故にアダムは、楽園を追放され930年間、荒野をさまよい子孫を残しやがて死んでゆく。「創世記」は アダムの生涯を描いたものである。


アダムと云う試作品を作った神が何故手の届く場所に禁断の実をつける樹木を植えたのかは、その後のアダムの苦行から容易に想像できるものである。試作品アダムの犯した罪は 「不死性と知恵」へ還元される「欲望」をアダム以下その子孫が生まれては死んでゆく過程で知ることとなる。そしてアダムとエバの子孫である人類が神の存在を恐れ秩序に背いたものには罰が与えられることも知った。仮に両性具有として作られたアダムがエバを欲せず 蛇からエバエバからアダムへと促された「禁断の実」を食べることが無かったとしたら創造主の臍の緒がついたままのアダムの時間は、流れることは無かった。換言すれば歴史の歩みは、アダムが禁断の林檎を口にしたときから始まったと言える。


アダムとエバが原初の無垢な状態から男性性女性性を認識すると同時に楽園の黄金時代は終わりを告げる。追放されたアダムとエバは イバラとアザミ草を絶え間なく生やす土をかきわけ生涯食べ物を得ようとした。荒れ果てた土地でエバが産み落としたカインとそしてアベルは、憎しみ合い カインは人類始めて人を殺めた。エバは苦しんだ。そして死んだアベルの代わりにと子供を次にもうけたのは、アダム130歳の頃であった。彼の名はセトと名づけられた。苦しい生活を通し「涙の谷」で枯れない葉やたえることのない果実を思い返しながら 930歳の年を迎えたある日アダムは とりわけ太く大きなイバラの茂みを土から引き抜いたあと力尽きた。臨終の苦しみにあるアダムは セトを枕元に呼ぶと どうか「楽園」まで行き「軌跡の油」を取ってくるようにと頼む。


セトは 父に言われた通り東へ向かい、荒涼とした土地に辿り着く。そこで アダムとエバが残した古い足跡を発見したセトは 爽やかな空気と花々の香りが漂う緑の地を足跡を逆に辿りながら進んだ。 すると突然セトの目の前に稲妻のようなものが立ちはだかる。それはエデンの園を守る天使ミカエルのツルギであった。天使ミカエルは アダムの子が何をしにきたが 既に察しはついていた。しかし赦しのときは来ていない。贖い主がアダムの罪によって閉ざされた扉を開きにやってくるには4000年と云う月日が必要だとミカエルはセトに告げる。そして こう続けた。しかしながら神と罪深い人間との来るべき和解の印として罪の贖いが成し遂げられる時の「樹」はアダムの墓の上に生える樹に由来することになるだろう。

ちょっと不調にて ツづく