反社会的な倫理規範(三昧耶)仏教タントリズムの思想的な精髄


タントラ密教では,人間の「欲望の積極的肯定」の思想をより鮮明することで欲望のもつ人間の生に基づく根源的なエネルギーを抑制することなく表面化させ日常生活や宗教実践の中で積極的に活用する方法を具体的に提示する。「密教一般」の絶対的実在の体・相・用をシンボライズした「即身成仏」(悟り)の手段 四印(大曼荼羅・三昧耶曼荼羅・法曼荼羅・羯摩曼荼羅)のシンボルの操作に対し「仏教タントリズム」は そのシンボルを「大印」(生身の女性)に「限定」するものとした。

ときに一切のものの中でも卓越した世界の自在者である世尊一切如来身語身の
持金剛王は一切の行の中でも最上なる法の意義と行の特質をお説きになった。
無分別なるものと利益あるものとの不二より生じた 貪 瞋 癡 に満ちた行者は無上なる最高の乗において最勝の悉地を成就するであろう。
旃陀羅(せんだら) 笛作り等 殺生の利益をひたすら考えている者たちは
無上なる大乗の中でも この最上の乗において成就をなしとげる。
無間地獄に堕す悪業をはじめとする大罪を犯した者さえもまた
大乗の海の中でもこの仏乗において成就する。
阿闍梨あじゃり)を誹謗するのに熱中する人たちはどんなに修行しても
成就することはない。
殺生を生業とする人たち 好んで嘘をいう人たち 他人の財物に執着する人たち
愛欲に溺れる人たち 糞尿を食物とする人たち 
これらの人たちは 成就するにふさわしい人たちである。
行者が母,娘に愛欲をおこすならば 大乗の中でも最上なる法の中で
広大な悉地をうるであろう。仏 尊者の母に愛欲をおこすけれども
それらに執着しない、そのような分別を離れた賢者に仏の位が成就する。

・生類を殺戮すべし。
・虚偽の言葉を語るべし。
・与えられていなくして取るべし。
・他人の妻たちに依止すべし 
(まぁ!犯罪ですわ!奥様・・・)


▼呪法
『秘密集会タントラ』には 仏教には存在しない多くの呪法が数多く存在する。それらは タントリズム行者たちが執り行った呪法をそのまま採用したものが大部分であり 硬直法・隠身法・招入法・恫喝法・粉砕法・呪殺法・解毒法・治病法といったこれら呪法は 本来仏教とは無縁ではある。しかし実際仏教タントリズムが誕生する以前の初期仏教において呪法への依存から人々を遠ざけようとしたこと自体 密教時代 俗信・呪法が仏教の中に流れ込んでいた証拠と考えられる。呪法自体はタントリズム以前の初期密教の時代から存在するものであり 遙か太古に遡る原始的心性に基づくシャーマニズムだ。


それら過去における禁止された呪法は 仏教タントリズム展開の過程で世間的・実践的重要な部分に値し 大衆の要求に合致したタントラ密教の思想の下敷きであることは間違いない。こうして タントラ密教は 俗信や白魔術・黒魔術的な呪法を取り入れた新たな組かえと編集により変化してゆく。

ガナ曼荼羅
切れ長の眼をした女尊よ。ガナ曼荼羅における,飲食がどのようなものか聞き給え。
飲食を為せ そこにおいてすべての者の願いの内実が満たされる悉地が獲得される。
この飲食を墓場・山間の洞窟・人けのない都城・淋しい場所にてとり行なうべし。
その場所に座をしつらえ,その数は九つであり,死体や虎の皮または墓場から
取ってきた襤褸(ボロ)布を用いるべし。
真ん中には 釈尊を行ずる者が占め 前もって適正な位置を知り
瑜伽女たちを八方向に配置すべし。
つぎに虎の皮の上に座して 三昧耶〔食〕と薬草を摂取し 人を貪るべし。
満足いくまで飲食した後 そこで供養すべし。
姉妹・姪・姑 彼女たちをよく供養すべし。そうすれば彼女たちのガナ曼荼羅の内にあって
悉地が得られるであろう。大きな福分を持つ者は 一つの断片よりなる聖なる髑髏鉢に
酒を満たして 阿闍梨に捧げ 讚嘆をなし 自らも飲むべし。
髑髏鉢は,左手で受け取り与えられるべし。
そこで修行者たちは 繰り返し 阿闍梨に頂礼すべし。


ガナ曼荼羅は,定まった日 ある特定の場所を選んで行なわれる集会(儀礼)である。八人の瑜伽(ヨーガ)女と釈尊の役を演じる阿闍梨の合計九名が最少必要人員とされ現実態としての曼荼羅を実践する。入檀希望の新たな弟子との飲食と性の饗宴をもってその実態とする。(動員される八人の女性はヘーヴァジュラ曼荼羅の八女尊に相応する生身の瑜伽女である)阿闍梨が弟子を曼荼羅に引き入れ目を布で覆う。次に弟子に曼荼羅を見ることが許される。ガナ曼荼羅では 弟子は金剛阿闍梨によって受認される。

サンヴァローダヤタントラ
理に適ったしかたで三昧耶を説くべし。
それを知っただけで,速かに悉地が得られる。
自分の家に於いて 或いは秘密の場所に於いて 人けなき場所に於いて
或いは 意に適える場所に於いて 山に於いて洞窟 或いは稠林に於いて
大洋の岸辺に於いて 屍林に於いて母神の祠堂に於いて
或いは河の合流点の中央に於いて最上の果を欲する者は
正しく曼荼羅を転ずべし。
偉大なる信心深き施主は瑜伽女と瑜伽者を阿闍梨に生まれたる。
すべての男尊を招請すべし。
世俗の教誡に安立するところの比丘は阿闍梨なり。
誰にせよ有徳者の行為あるもの そして神通を獲得せるものは阿闍梨なり。
これらの人々のうちで最上殊勝なるものを阿闍梨・指導者となして
信心ある施主は善美なる曼荼羅を転ぜしむべし。
すでに灌頂せられ有徳にして世間の人々に
毀謗せられず十不善を完全に放棄したる阿闍梨は聚の導師とされるべきである。
長幼の区別に従って儀礼に相応した花・焼香・灯明・とくに栴檀塗香を
もって不断に礼拝すべし。施食を幢幡と天蓋で飾った阿闍梨は,それを神々を宥めるために捧げるべし。
清浄にして動揺なく賢明で貪欲と愚かさを離れ一切を平等に見る羯磨金剛者は
心の高揚する飲物を獲得され 
もたらされた蜂蜜・糖蜜穀物からつくるべきなり。
同様に食物と飲料,米粥・蒟醤(キンマ)そして供物をも準備するべきなり。

 

このタイプの集会が「ガナ曼荼羅」行と区別される点は 集団的な修法と大衆的な祝祭の性格を併せ持っていることである。サマヨーガ・タントラは 親しい者全員の集会であり 参加者の人数は不特定、有資格者である男女の瑜伽者のすべてに開かれている。


▼人身供犠
ところで中世インド社会では特異な儀礼内容の集会を行う瑜伽(ヨーガ)女たちの魔女集団が存在した。


へーヴァジュラの徒、瑜伽女たちは 節会をもち人身供犠を行う儀礼の集会日を月の満ち欠けによってを定めた。ヘーヴァージュラ瑜伽女集団にとって人身供犠 つまり人間の殺害儀礼において 輪廻転生を前提とする仏教タントリストの論法により 「犠牲の合意のもと」集会へ招待する。自己犠牲となったものから提供される丸薬は成仏の因として扱われ犠牲となった者は 輪廻転生から逃れ最終解脱を果たす。また人身供犠の犠牲七生人(7回目の輪廻転生)の選別では 男女問わず話す声が麗しく 切れ長の眼に濁りなく麝香か樟脳のごとき芳香を持ち 同様に大いなるオーラの具え 影が7つとして存在するものである。これを七生人と印づけ 吟味した上で丸薬を作りそれを食することで「虚空行」を果たす。(虚空行=空中飛翔)これらの儀礼は、ヨーロッパ古代ギリシア ローマへ入ったオリエントの密儀宗教の崇拝を想起させる。瑜伽女たちの集会が人身供犠を伴うことは仏教徒外部からの影響と考えられるのではないだろうか。以上後期密教としてのタントラ密教は その後ヒンドゥー教の隠された異端によって受け継がれていく。



注:後期密教
6世紀までに成立したインド密教が「純密教」として体制を整えたのは七世紀「大日経」である。その後僅か遅れ「後期密教」が流れをくんだ「金剛頂経」が成立する。「大日経」と「金剛頂経」との関係は連続性よりも断絶の側面が強く見られる。後期密教とは 文献等で自らをタントラと呼ぶことから「タントラ仏教」と呼ばれる。またチベット仏教の学匠プトゥンの四分類法で 初期密教を 所作タントラ 大日経の段階で 行タントラ 金剛頂経を ヨーガタントラ 後期密教に至っては無上瑜伽タントラと分類されたことから 欧米仏教学研究者の多くは密教とタントラ密教を同義と捉えているが 実際「タントラ」は「金剛頂経」以降の流れである。